馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

ウオッカについて思うときに僕の思うこと

本来、あらゆる意味で規格外のトリックスター的性質を持っていたはずのディープは、三冠達成という十字架を背負ったがゆえに3歳時の海外挑戦権を断念せざるをえず、また古馬になってからは、ファンサイドからの英雄視と、種牡馬ビジネスサイドからの損得勘定によって、池江師が本来描いていたリベンジマッチを果たせないまま「大団円を迎えさせられ」ました(それに対し否定的なニュアンスで書いているわけではなく、単なる結果論的な把握として、ですが)。しかしウオッカは、そんなディープとは対照的に桜花賞で2着に負けたことで「牝馬チャンピオン」としての枷から解放され、結果として牝馬によるダービー制覇という重要な文化的役割を果たした、正しくトリックスターと呼べる存在なのではないかな、というのが個人的な印象です。

ウオッカはおかわりできるか否か - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)

◎:前走ヴィクトリアマイルのVTRは何度も何度も見たが、どう考えても普通なら後ろから突っ込んで来られる流れではなかった。それを国内復帰緒戦で状態面の不安を言われながらあそこまで詰めたこの馬の強さを、改めて実感させられたレース。大敗した京都記念は完全な溜め殺しで、世界の面子相手に掛かり気味に先行してバテないDDFのレース振りがこの馬の本質を表している。内目の枠を引いてある程度出たなりの競馬が見込まれる、そして武豊から乗り替わる今回は、能力を十全に発揮できる条件が整ったと見る。「牝馬不利」というデータもあるが、それはこの馬にとってはむしろ強調材料にすら思える。あのダービーから1年。固く閉じられていた酒瓶の蓋が、再び開かれる時は来たれり。

不死鳥のように舞い蜂のように刺す - 第58回安田記念 - ホースニュースはてな


▼これまでに僕が書いた、ウオッカについての(ある程度まとまった)文章が上のふたつ。今回のジャパンカップの結果までを踏まえて言えば、「見誤ってはいなかったけれど、見通すには至らなかった」という感じでしょうか。
 秋華賞京都記念までの四位の乗り方を見ていても、「本来のこの馬のパフォーマンスを引き出すための舞台」がクラシックディスタンスでないことは明らかだ……というのは、当時から僕だけではなく多くのファンの間でのコンセンサスとしてあったのではないかと思います。そういう意味で、1年越しで「ダービーの呪縛」を破った安田記念(4歳時)の勝ちっぷりは、衝撃ではあったものの驚愕ではなかったし、むしろ深い納得をもたらしてくれたものでした。


▼その後のキャリアも、ダイワスカーレットとの名勝負という中盤のハイライトはあったにしても、安田記念で受けた印象を覆すには至らなかったと把握していました。JC前の段階での彼女の距離別成績をまとめると、

  • 〜1600m(7.2.0.0)
  • 1800〜2000m(1.2.2.3)※海外(0.0.0.3)含む
  • 2100m〜(1.0.1.4)

というもの。加えて直近の天皇賞・秋での武豊の乗り方や、前年のJCでの敗れ方を見ても、「距離が延びればそれに合わせた位置取りをせざるをえない」……というのが、今のこの馬への評価だと思っていました。少なくとも僕はそうでした(恥ずかしながら)。
 しかし、その予測は見事に覆されました。もちろん、ペースがこの馬に向いたということもあるでしょう。スローなら抑えが利かず自滅した可能性が大きかった気がしますし、ハイペースならオウケンにバッサリいかれていた蓋然性は高かったとも思います。また、レース後の他馬陣営のコメントを読めば、ライバル馬が十全な競馬をなしえなかったという要素も少なからずあるようにも見えます。しかし、ウオッカが自力勝負でレースを制した、という事実は動かしようもないものです。
 騎手ルメール、という点から連想したのは、ハーツクライが先行してディープを制した有馬記念の構図でしたが、しかし根本的に違うのは、中山2500mというコースのトリッキーさ。基本的に有馬は、例えばあの時3着にリンカーン、4着にコスモバルクが早目の競馬で残っていることからも分かるように、コース形態的に「前に行くことに対するインセンティブ」が明確です(まぁ行ったタップは沈んでいたりもするわけですが)。
 そういう筋で考えると、府中の2400mというタフで誤魔化しの利きにくいコースで、2〜5着が差し脚を生かした馬で埋まった展開でウオッカがああいうレースをして押し切ったというのは、個人的には衝撃であることはもちろん、大きな「驚愕」も伴った結果だったわけです。


▼マイル路線がこのクラスの馬のキャリア終着点として機能しえない、という構造的な問題はあるにしても、天皇賞・秋の後に採りうるルートとしては、距離を考えて香港カップ、という選択もあったのではないかと思います。ドバイではないにしても、「海外競馬」という舞台での忘れ物は結局まだ回収できていないわけですから。しかし陣営は、ダービーと同じ府中の2400mという舞台をチョイスし、そしてそこで、


という、レアさを考慮すれば「牝馬によるダービー制覇」に匹敵するような偉業達成、という満額回答を引き出して見せました。キャリア途中でのマイル〜中距離路線へのシフト、という選択を陣営がどう把握していたのかは不分明ですが、もしそれが「本来の指向を枉げた上での一種のギミック(あるいは欺瞞)」という意識が少しでもあったのであれば、今回のJC挑戦、そして勝利というのは、関係者にとってこれ以上ないほどのカタルシスがあったのではないかと想像します。


▼既報通り、ウオッカは鼻出血により有馬記念には出走できません。しかし前述したように、有馬の舞台はコース形態上「誤魔化しの利く」「紛れのある」ものであり、興業としては優れていてもチャンピオン決定戦としては十全と言えない面があります。
 翻って、ウオッカという一巻の物語絵巻の起承転結を考えれば、「ダービー制覇」という前半の主題部にしてひとつの頂点であった部分を、クライマックスに舞台設定にしても背景にしても通底する要素が多い「JC制覇」でリフレインしてみせたというのは、運命的というか、とにかく人智を超えたものを感じざるをえません。
 また、奇しくもというか、この流れはダイワスカーレットの「牝馬による有馬記念勝利」という構図とも非常に似通ったものがあり、見方によっては「ダイワスカーレット物語」と並べてみても、魔術的なリフレインを刻んでいると言えるでしょう。そのあたり、勝手合点ではありますが戦慄を禁じ得ないところです。全くこんな筋書き、一体誰が描けるものでしょうか?


▼大衆文学としては、「最後に有馬記念も勝って大団円」というオチが妥当なのでしょう。けれど、そうではなく「全力を出し切った果ての勝利、そして吐血」(まぁ鼻からですが……)という結末で一種の芸術性を得た上に、アスリートとしての競走馬の価値を考えると勝っても上積みがなく負ければ傷がつきかねない有馬記念を回避できたあたり、この馬の「持ってる」ものの巨大さを再確認した、というのが僕の見解です。まぁこの辺はかなり意見が分かれるところだと思いますが、とにかく凡百の想像力では計り知れない牝馬だった、というのはまず確かなことでしょう。
 もちろんこの後、繁殖シーズン前に「ドバイでの忘れ物を取り行く」展開もありえるとは思います。しかし、それはなんとなく「外伝」のようだというか、少なくとも一度幕が降りた後のアンコールに思えてしまいます。このまま引退式というカーテンコールを経て、繁殖生活という「続編」に期待するのが、美しい引き際なのではないかな……と。その辺、陣営がどういう選択をするか注目しています。