馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

競馬ファンよ、死を想え(ただし貴方なりに)。

▼イグレット軽種馬フォスターペアレントの会・会員のSouthendです、こんばんは(挨拶)。

まずこの一件が発生したときにツイッターで私がチェックしているアカウントからはおよそ下記のような反応が見られました。(※脚色なし)


●年齢的に母になっていても良かった。通常の怪我ならまだしも、予後不良になるなんて。。何とも残念。
確かにそうなんだけど、「残念」っていうほど国内的に価値ある繁殖にはならないよなあ。


●20年競馬やっていても慣れない。
「慣れない」っても毎週競馬場で起きてるアクシデントだよな。毎週慣れないままで20年競馬見られるのかしら?


カノヤザクラ予後不良なんて……今知ったのですが、悲しすぎる。
「悲しすぎる」っていう表現も軽いなあ。本当に心から悲しくないだろ。
「今日部長が死んだ。悲しすぎる」とかつぶやく奴がいたら馬鹿にして喜んでると思う人は当然出てくる。


●ああ・・・合掌。
「ああ…」っていうなら今日他にも死んだ馬いるしなあ。


という訳でモクモクと違和感が生じたのです。

▼この中のうち最後のが、僕の

だと思われるので、ここにだけ反応&そこからの雑感を。


▼まず、“「ああ…」っていうなら”と南先生は書かれておられるのですが、この「ああ…」が一体どういうニュアンスだと把握されているのかが謎で、僕からすればそこから“今日他にも死んだ馬いるしなあ”と続く関係性がよくわかりません。
 ちなみに、この「ああ…」を説明すると、

  1. レース映像を見ておらず、TLで「カノヤザクラがなんかヤバいかも」という曖昧な情報だけ確認していた。
  2. 当日夜に、やっぱりTLで「予後不良」という情報を見て、JRA公式で確認。
  3. 前述コメントとともにJRA公式の記事をブクマ。連動でtwitterにコメント投稿。

となります。つまりこのコメントを補完するなら、

という意味合いだったわけです。ここまで読み取れた人がいたらびっくりしますが……。


▼次に、「合掌」について。僕のはてブ「訃報」タグ

を見てもらえばわかりますが、合掌してる(冥福を祈る)時としてない時は結構バラバラです。作家の訃報に関しては業務上というところもありますので事務的に、競馬関係に関してはある程度情緒的に、という大雑把な傾向はありますが、さらに大きく言えば、ただただ「合掌」という気持ちになったかどうか、という基準しかありません。で、その気持ちになるかどうか、というのは、対象へのコミット度合いだけでなく、訃報が流れてからそれを僕が知るまでのタイムラグ、あるいはブクマ時点での気分なんかにも影響されてそうなので、定量的にはかる術は自分自身持ってないというのが正直なところです。そして、はかる必要もないと思います。


▼以上、南先生のエントリへの返信終わり。以下はそこから勝手に派生した雑感。


▼この週末は、たまたま中学校時代の同級生の結婚式に出席していました。それはとても素晴らしい会でした。さて、仮にそこで僕が「結婚式に参列なう。おめでとう!」とツイートしたとします。そこで誰かが、「おめでとうっていうなら、今日他にも結婚したカップルいるしなあ」とリプライを飛ばしてきたとします。さて、その時僕はどう答えればいいのでしょうか。「実は私も今日結婚したんです!」とかなら、たとえそれが全く知らない人であっても、「おお、それはおめでとうございます!」ぐらいはリプライ返すんでしょうけれども。
 悼んだり、祝ったり、喜んだり、悲しんだり、特になにも思わなかったり。その辺の距離感って、どうやって決まってるんでしょうね。時々不思議です。


▼個人的な価値観を言えば、「重賞勝ち馬」というのは「ものすごく特別な馬」だと思います。割合で言えば、競走馬50〜100頭中1頭、というところでしょうか? でも、その「特別だ」という感覚は、数字上ではなく、僕が一口馬主として100頭を超える馬に出資してきた上での「実感」からのものです。なので、もしかしたら今回の「ああ…」には、そのニュアンスも含まれていたかもしれません。でも、それは自分でも定かではないことですし、ましてや他者に共有してもらおうとは思いません。


▼競走馬(あるいは元競走馬)の死については、これまでもいくつかエントリを上げてきましたが、それも含めた全てにおいて共通する僕のスタンスは、

  • 内面的な思考や感情は誰にも掣肘されるものではない。
  • ただ、それを言葉にしてあらわすなら、たとえ独白であっても「すでにその言葉は自分だけのものではない」と考えるのが望ましい。
    • なので今回もこうして返答エントリを書きました。
  • また、自身の思考や感情を他者に共有させようと本気で思うのであれば、そこにはなんらかの「理路」、そしてなんらかの「直截的なコミットメント」が必要だ。
  • また、他者の思考や感情を自身が共有しようと本気で思うのであれば、そこにはなんらかの「理路」、そしてなんらかの「直截的なコミットメント」が必要だ。

というものです(もちろん他者にもそうあれかしと要求するものではないし、絶対的な真理とも思いません)。


▼最後に改めて。今回引いた南先生のエントリについて、自分のツイートに関わる部分以外においては、特に意見を述べたり議論したりどこかに肩入れしたり、という意志はありません。念のため。<関連>

▼「同じ構造をもつはずの人間どうしでさえ、例えば魂を交換できたとしたらそれぞれ想像を絶する世界が見え、聴こえるはずだ。」(ミギー・『寄生獣』より)みたいな。
(注・このセリフは寄生獣語録(その10) 佐久間闇子と奇妙な世界/ウェブリブログからの孫引きです)