エレーヌ(或いは地方競馬)、死に至る病
▼まず、エレーヌの早過ぎる死がその酷使ぶりに起因するのではないかという疑念を「是」とし、そうした競走馬の扱われ方を「非」とすることを前提とする、という点を確認しておきます。そのあたりの蓋然性を争いだすと水掛け論になるので、今回はひとつの仮定としてその前提を全面的に認めた上で話を進めていきたい所存。
死に至る病とは絶望のことである。
▼2歳8月でデビューし、2歳中に8戦。そして3歳時は、最後のレースとなった9月のノースクイーンカップで18戦目。つまり、きっちり1ヶ月に2走ペースということになります。いくら地方競馬とはいえ、オープン馬として北は門別から南は佐賀まで全国を飛び回ってのことですから、過剰出走のそしりを受けるのもむべなるかなというものでしょう。同馬主(ホースケア)・同厩舎(山中輝久師)のオープン馬・トウホクビジンも、2009年に28戦、2010年も既に23戦と、ハイペースで出走を重ねていることが一部で話題となっています。
そうした「牝馬の過剰出走」のひとつの要因として、「グランダム・ジャパン」という地方牝馬重賞のポイント制度が考えられます。
しかし、“これはグランダムジャパンが云々というミクロの問題ではない”と須田氏は言います。そして、個人的にもそれには同感です(もちろんひとつの契機にはなっているとしても)。
例えば、愛知にロードスピリットという馬がいました。
元出資馬の成績を調べていて偶然当たった例ですが、この馬も中央抹消後は(直後からかどうかはわかりませんが)ホースケア名義となり、2009年に41戦(!)、2010年は8月までで23戦を消化しています(その2010年8月に登録抹消)。月3戦、あるいはそれ以上のペース。しかも引退レースからさかのぼって10戦分の成績を見ると、その間で3頭しか交わせていません。地方は出走手当目的の出走が常態化しているとはいえ、いくらなんでも……という内容です。
本当に偶然見つけたケースでこれですから、つまりは「上から下までこのありさま」というところではないかな、と。蓋し、絶望的状況と言えるでしょう。
この病(絶望)の普遍性。
▼ちなみに僕がエレーヌの件で真っ先に思い出した馬は、トウホクビジンでもロードスピリットでもあるいはオースミダイナーでもなく、実は中央のハートランドヒリュのことでした。
- ハートランドヒリュ | 競走馬データ - netkeiba.com
- http://keiba.radionikkei.jp/keiba/news/20060322K10.html
- 老兵は退役軍人になれなかった - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)
「オートダービーの記録を43年ぶりに更新」という達成感、その個性的なレースぶり、条件馬であったこと、半年前に一度3着に入っていたこと、管理していた清水久雄師が既に勇退していたこと、130戦での引退が内定していた(結局128戦)こと……そうした様々な理由から、叩かれるような空気ではなかったような記憶があります。しかし個人的には、この死に対し多少消化し切れないものがありました。彼の出走履歴を見ると、
1998年 | 2歳 | 2戦 |
1999年 | 3歳 | 19戦 |
2000年 | 4歳 | 20戦 |
2001年 | 5歳 | 16戦 |
2002年 | 6歳 | 19戦 |
2003年 | 7歳 | 19戦 |
2004年 | 8歳 | 15戦 |
2005年 | 9歳 | 14戦 |
2006年 | 10歳 | 3戦(3月まで) |
と、ここでひとつデータを出してみましょう。
年間出走数ランキング | ||||||||||
1999年・全体 | 2009年・全体 | |||||||||
1 | 23戦 | バイアリーガル | 栗 | 清水出 | 1 | 19戦 | カシノマイケル | 栗 | 鈴木孝 | |
2 | 22戦 | サンライズクラウン | 栗 | 内藤繁 | 1 | 19戦 | シデンカイ | 美 | 伊藤伸 | |
2 | 22戦 | クワイエットホーク | 栗 | 山内 | 3 | 18戦 | ファンドリリーダー | 栗 | 岩元市 | |
4 | 21戦 | ビゼンハナコ | 栗 | 佐藤正 | 3 | 18戦 | マーブルアロー | 栗 | 清水久 | |
5 | 20戦 | サンコメーテス | 栗 | 高橋成 | 3 | 18戦 | カスガ | 栗 | 安達 | |
5 | 20戦 | (他7頭) | 3 | 18戦 | ケイエスユリ | 栗 | 高橋成 | |||
3 | 18戦 | オカゲサマデ | 栗 | 谷潔 | ||||||
1999年・オープン限定 | 2009年・オープン限定 | |||||||||
1 | 15戦 | ウチュウノキセキ | 栗 | 音無 | 1 | 15戦 | マンハッタンスカイ | 栗 | 浅見秀 | |
2 | 14戦 | コンメンダトーレ | 栗 | 梅田 | 2 | 13戦 | アポロドルチェ | 美 | 堀井 | |
3 | 13戦 | ニシノダイオー | 栗 | 松田正 | 2 | 13戦 | ヤマニンエマイユ | 栗 | 浅見秀 | |
4 | 12戦 | ブレーブテンダー | 栗 | 池江郎 | 4 | 12戦 | ワイズタイクーン | 美 | 和田道 | |
4 | 12戦 | シャンパンファイト | 栗 | 川村 | 4 | 12戦 | バトルバニヤン | 栗 | 池江郎 |
また、収得賞金の計算方法が変わり「勝ち上がり」が明確になったのが確か2006年。遡って、厩舎ごとの管理頭数の上限を貸与馬房数の3倍とした緩和策施行が確か2000年(全部うろ覚えですいません)。それらの影響で、と断言するには難しい面もありますが、以前と比べて1頭当たりの年間出走数の天井は下降傾向にあると言えそうです。またこの数字から、ハートランドヒリュはそのキャリアの過半において、毎年中央最多クラスの出走数を重ねていた、ということもわかります。これを単純に頑健さゆえと捉えるかどうかは、皆さんの判断にお任せしますが……*1。
それはともかく、一方でオープンクラスの馬に関しては、以前からごく一部を除いて概ね月1走ペースが天井だったことも見て取れます。過去10年分のデータを調べてみましたが、オープンクラスで年間16走したのは障害で2頭(ショウザンスカイ・ブレーブテンダー)だけでそれが上限。年間13走以上、つまり月イチ以上のペースで走ったオープン馬は、多くて年数頭というレベルでした*2。10年分も調べれば、1頭や2頭は「例外」が見つかるかと思いましたが、結果としてはここ最近の中央で「常軌を逸した」年間出走数の馬は(特にオープン馬では)確認できなかった、ということになります。
この病(絶望)の諸形態。
▼とはいえ、中央に「ホースケア的」なマネジメント*3を採る馬主がいないというわけでは(おそらく)ありません。では、これだけの数字の差はどこから来るものでしょうか。大抵の方には自明のことと思いますが、念のため確認しておきます。
- 中央…開催・売上規模に対して馬資源が充足している(あるいは過剰)
- 換言すれば、供給される馬資源に対してレース数・馬房数が適性(あるいは不足)
- 地方…開催・売上規模に対して馬資源が不足している
- 換言すれば、供給される馬資源に対してレース数・馬房数が過剰
ここから派生する要素は多くあると思いますが、ほぼこの点が全て、あるいはクリティカルと言っていいでしょう。中央の種々の新陳代謝促進制度、例えば
- 未勝利戦の期限設定
- 前走着順・出走間隔による優先出走順決定
- 特別出走手当の支給は1開催あたり2走まで
- 6歳以上500万下馬の特別出走手当減額
- 高額な抹消給付金
といったものは、「放っておけば馬があふれる」ことを大前提としているわけですし、また馬の「質」の方は「量」の確保と淘汰システムの構築によって担保される、という点は議論をまたないはずです。であれば、根本的な問題は馬資源量(と結果としての質)の差、ということになります。
そして中央競馬は、管理頭数上限の緩和により馬資源を確保しつつ、中央集権的な馬房数とレース数の管理によってその頭数に見合った番組を提供し、また「結果の残せない下級条件馬が吹きだまることをご遠慮いただく」システムを導入することでレベルの高さを担保しつつ過剰な出走がしづらい環境を(結果的に)整えて、競馬界(あるいは日本経済全体)が「シュリンキング」な状況に対応しようとしてきました(これを少々意地悪に喩えれば、「ハートランドヒリュ的なありようを(制度的には)是としない方向性」、と言えるかもしれません)。さて、一方で地方競馬は?
▼「なぜ地方で馬資源が不足するのか」というそもそもの原因については最早、卵が先か鶏が先か、というレベルの話になってきている気がするので措くとして、自分が把握している地方競馬の構造的問題をまとめると以下のようになります。
出走頭数の確保が難しいことや、売上減で賞典費が減少し「出走手当で食べる」ことが常態化していることから、毎週のように同じ馬が走っている。当然、中央のように新陳代謝を促すような制度の導入も難しい。低い賞金と地域格差、そしてやはり馬資源の不足(あるいはレース数の過剰)により、中央のようなシンプルで統一されたクラス分けが困難である。結果、馬のレベルは下がり多様性も失われ、魅力的な番組が提供できない。そして売上はまた減少し、結果としての賞典費の減額によって、馬資源の不足にもまた拍車がかかる……。
……こうした問題点がいつから地方競馬にあったのかは把握していませんが、あるいはバブル期以前からこうした状況は始まっていたのかもしれません。それでもその頃は馬券が売れた、経営が成り立っていたとして、競馬界も日本経済全体もシュリンキングな現在は、それではジリ貧だというのは分かり切ったことですし、そうした「空洞化」によって生まれた文字通りの「間隙」を突いたものが、所謂「ホースケア的」なマネジメントであることもまた否定出来ないところでしょう。
つまりは、「エレーヌの使われ方がおかしい」のではなく、「エレーヌのような使われ方が指向されてしまうシステム・状況がおかしい」、そう断ずるより他ありません(もちろん個人的には「モラル的におかしい」という思いは強くありますが、そこを棚上げした上で)。地方主催者単独(例えばエレーヌなら愛知地区)で完結した系を持続的に運営していくことは最早難しい(南関東除く)わけで、そこで主催者同士がユニオンするのは妥当としても、ブロック分けするわけでも微妙な開催調整をするわけでもなく、水沢で3歳牝馬オープンを走った6日後に佐賀で、そしてその2週間後に園田でやはり3歳牝馬オープンを走る、そしてその全てにエレーヌが勝ってしまう、という芸当が可能となっている状況は、(グランダム・ジャパンの設定を抜きにしても)やはりどこか歪んでいるように思います。
もちろん番組構成だけを考えるなら、中央でも例えばサマー2000シリーズは皆勤しようと思えば中1週→連闘→中2週→連闘となりますし、3歳牝馬ならクイーンC→チューリップ賞→フィリーズレビューなどというようなローテも原理上は可能です。しかし、その全てで勝ち負けすることは困難(と思われる)でしょうし、仮にそれが可能なほど卓越した馬を持てたならば、目先の賞金や報奨金を拾いに行くよりも、「余力を持って本番(G1)に臨む」方に強いインセンティブがあると判断するのが自然というものでしょう。また、仮に継続してエレーヌ的なマネジメントを志向したとしても、単純にその後が続かない(酷量覚悟でオープン特別に出るか、3歳牝馬なら牡馬クラシックに続戦するぐらいしか「走り続ける」ための選択肢がなく、当然結果を望みづらい)、という要素もあります。まぁエレーヌは東海ダービーまで勝ってしまいましたが……。
とまれ、そうした
- 無定見な地方競馬同士の交流と番組構成
- 素質馬とはいえ中央では500万下でも通用しない程度のレベルで各地のオープン競走を席巻できる層の薄さ
- 賞金の安さ等に起因する「無理使いしない」ことのインセンティブの低さ
が、エレーヌの悲劇を産んだ(何度も繰り返しますが、酷使と死に因果関係を認める、という仮の前提に立った上での表現です)のだ、というのが個人的な把握です。
絶望は罪である。
▼これもまた須田氏が指摘するように、「地方競馬」という枠組み全体で見るなら、決してリソースが尽きているわけではありません。しかし、例えば今回の「グランダム・ジャパン」構想については「エレーヌの悲劇」によりこれ以上ないほど最悪の結末を迎えましたし、一事が万事その調子でも特に不思議はありません。結果論のようになってしまいますが、飢えた民の中に種籾を投げても、蒔かれることなく食べ尽くされるであろうということは、自明の道理ではないかと。
しかし個人的には、そうした議論すら枝葉末節ではないかという気がします。これは、以前に岩手競馬の存廃問題から地方競馬のあり方を問うた(とか書くと大げさですが)一連のエントリでの把握と通底する話です。現在でも自分の基本的な認識は変わっていませんので、よろしければ以下のエントリ群をご参照ください。*4
- 「岩手、イラネ。」は果たして痛手か? - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)
- 結局最大のガンは“甘さ”なのか - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)
- 要するに同じ「競馬」だと思うのが間違いなのかもしれない - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)
- 10億円をポンと出せるなんて裕福ですね - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)
- これが「甘えの構造」ってやつか - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)
- “甘い”以前の問題だったようで - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)
- 一連の地方競馬論について、蛇足な補足、あるいは言い訳 - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)
- 今ドバイにいる人に向けて、敢えて日本競馬について疑問を投げてみる - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)
- SOS案(死にかけの地方競馬を大雑把に建て直すためのSouthendの案) - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)
- 「地方競馬はアマチュアレベル」とか言いたいわけではないはず、ですが。 - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)
▼……例えば前述の「馬資源」の話を読んで、「中央が地方を圧迫している」ような構図が頭に浮かんだ方もおられると思いますが、それは全くの事実だと思います。
という、3年前のこのエントリ群内で行った分析は、制度的にも実情を見ても「そうとしか言えない」話だと考えていますし、つまり中央競馬とその他の地方競馬は端的に言って現状「商売敵」でしかない(交流競走の設定程度では到底埋め合わせられないレベルで)と思います。
また、「南関東」や「兵庫」、といった単位を越えた部分に関しては、「地方競馬同士」でさえも同様です。例えば本日10月20日であれば、門別・大井・名古屋・園田と4場が同時開催しており、しかも園田で買える他場の馬券はなにかと調べてみると、どうやら大井のTCKディスタフのみのようです(参考:http://www.sonoda-himeji.jp/tajokaisai/index.html)。JRAで他場の馬券がまともに買えなかったのは、さてどれぐらい昔の話だったでしょうか。
▼ではどうすればいいのか、という点に関する自分の考えはやはり3年前に散々書きましたが、その再編集をしてみたい気持ちもありますし、今はもう少し具体的な試案もあるにはあるので、いずれ別途エントリを起こすかもしれません。しかしこの記事については、軽く触れるだけのつもりが思いのほか冗長になってしまったので、ひとまずこのへんで締めさせていただきます。ちなみにトータルの結論、というか感想を述べるなら、以下のような感じになるでしょうか。
「エレーヌの栄光、そして死という過程と結果は、現在の地方競馬*5が抱える病理とその想像される末路を、これ以上ないほど見事に象徴している」
さあ、イシャはどこだ?