馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

語る資格はありませんが、とりあえずレスってことで

敢然とマルチレス - 血統の森+はてな

現実解を求めるのか、理想(政治的、法律的問題を無視するという)条件下での解を求めるのかで、導かれるものが異なってくるのではないかなとも思います。

▼少なくとも僕に理想なんてものはないです(えー)。つーか、元々「理想論や情緒論で語っている人たちは、ちゃんと現実認識があった上で言ってるのかえ?」ってとこが出発点だった気がします。あまりにエントリ重ねすぎて忘れかけてますが。

また、中央と地方の二重構造自体を非とする考え方から演繹的に論理を展開していのか、中央と地方の二重構造自体が生み出す諸問題から帰納的に論理を組み立てあげていくのか、これによっても導かれるものが変わってくるのではないでしょうか。

▼僕が指向してたのは後者でしょうね。むしろ個人的には二重構造を非とする理由がないです(もちろん現状を追認した上での話)。というか、スケールの差と、あと馬資源の流れ(“ドラフト”にしろ“トレード”にしろ)がほぼ完全に<上層としての中央>と<下層としての地方>に峻別されている現状を鑑みて、なんとなく中央と地方の関係性を「二重構造」というレトリックで表現しているだけで、ロジカルに言えば「並立・並列構造」だよなぁ、と、今更ながらちょっと思ってたりするんですがどんなもんでしょうか。これまで書いてきたことの繰り返しっつーか焼き直しではあるんですが、よく考えたら両者は決して「重なってはいない」のだ、と。なので、

あるいは、地方と中央を対等と見做すのか、中央を地方の下部組織と見做すのかで変わってくるでしょう。

現状を追認する以上は、「地方競馬主催者(たち)と中央競馬主催者(=JRA)は対等な、そして根本的には乖離した存在ですよ」としか言いようがない気がします。そして、散々書いたように「“総体としての地方競馬”なんてものは実質無いも同然」というのが認識ですので、それらを「二重構造」どころか、単なる「二軸構造」としてすらロジカルに語るってのは無理筋なのかも、というのが、これまでの流れを踏まえた上での見做しでしょうか。なので、「地方」をしっかりしたひとつの「軸」として語れる状況が早く来ねぇもんかね、という論旨にいつも落ち着いちゃうんだろうなぁ、と。

結局のところ、青写真を描こうとするにもゴール地点が見えてこなければ、現状何が問題なのかすら把握し切れず(整理し切れてないといったほうが適切か)、スタート地点の状況すらわからないという、どうしようもない状況なのかもとか。

▼スタート地点については色々と修辞なりデータなりを弄してきたつもりですが、ゴールを目指す筋合いはないっちゃないのでそこを言われるとちょっと困りますね(えー)。ただまぁ、個人的な青写真は「中央と地方の(名実ともに)二軸構造の構築」ってとこではっきりしてるっちゃしてます。ただ、そのためにはまず地方競馬が「“地方競馬”というひとつの有機体である」というアイデンティティをきちんと獲得する必要があって、そこまでの道程がまだ長そうなわけなんですが。
 で、あとは、仮に地方が地方としてしっかりした生体構造を獲得しえたその時に、総体として収益性の低いその“地方競馬”というネットワークを、中央が目先の採算を度外視して自らの下部に組み込むことができれば(要するに実際的な意味での「二重構造」の成立)、それが「日本競馬」全体としてはベターな未来図なのではないかな、とは思います。実質的にも制度的にも大きなひとつのピラミッド構造(別に正しく三角形あるいは四角錐状である必要はないと思いますが)として日本競馬をリストラクチャしなおすことができれば、それが一番シンプルかつ有意義なことじゃないかというのが、単純で恥ずかしいんですが今の自分が考える着地点ですね。野球にしろなんにしろ、質の高いコンテンツで収益を上げつつ、その一部を使って非採算部門である底辺を支えるっていうのが、競技レベルを支える上での有効なメソッドだと思いますので。
 ただまぁ、その実現性が高いとは思いませんので、ここまでくると理想論なのかな、という気がしますけども。現実解としては、「“地方”という枠組み内でのリストラクチャ」までが当面の目標、というのが個人的な論旨の落としどころですかね、やっぱり。つか、それだけのことにしたって、これだけ捩れて傷んでしまった地方競馬主催者たちが“しっかりした生体構造を獲得”するって自体がナンセンスな前提なんじゃねーかという印象も正直ありますけど・・・・・・(まぁ三木成夫的に言えば、生体ってのはどこもかしこも捩れてるものなのかもしれませんが)。

いってみれば、Southendさんが議論の先に何を求めるのか、ということなんでしょう、きっと。

▼そもそもなんで地方競馬の話に噛んでるかといえば、それはロック(デインヒル産駒ではなく元商社マンの方)の言葉を借りれば「義理じゃない、正義でもない。そいつは・・・・・・俺のhobbyだ」という身も蓋もないことになっちゃうんですけど。ただ、ここで言うhobbyは、「趣味」ではなく「個人研究」ぐらいのニュアンスなわけです(参考:http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/03/12/index.php)。なので、こうして議論が(建設的かどうかはともかく)煮詰まって、自分なりの見識みたいなものが曲がりなりにも出来上がっていくという状況(そしてそれを不特定多数が肯定否定問わず共有すること)こそが、僕の求めていたものだと思います。・・・・・・というのはあまりに手前勝手すぎるでしょうかね。ただ、そこより先になにがあるか、なにかがありうるか、というのは、ちょっと次元の違う話になってしまいそうです。
<追記>
▼これではあまりに身も蓋も無いので、「どれだけ直接的な影響があるか、という点は度外視しても、“(消費者としての)ファン”という立場から草の根的に競馬をサーベイランスしとくのは、決して意味のない行為ではないはずだ」、とは一応書いておきましょうか。いや、自分のエントリ群がその機能を果たしてたとは思いませんが。



▼しかし、今更な話ではありますが、今の枠組みでも中央が積極的に手を差し伸べれば、それだけで救われる地方競馬は多いとは思うんですけどね。例えば、去年のフェブラリーSの売上は160億円あまり(参考)。一方去年の南部杯は4.4億円(参考)。この辺の、少なくとも中央がタッチしている交流重賞だけでも売上のギャップを小さくできればなぁ・・・・・・とは、こういう数字を見るたび思います。


▼えー、なんにもまとまってない気もしますが、とりあえず(さらにボロが出ないうちに)以上、ってことで。既にまた出てたらできるだけやさしくツッコんでください(えー)。