馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

アレクサンドロス大王のお父さんは、競馬マニアだった。


 古代ギリシャではすでに競馬が盛んに行われ、紀元前680年には古代オリンピック(第25回)の競技種目にも加えられた。といっても、最初は今のように騎手が乗馬して行う競馬ではなく、2頭ないしは、4頭並列の戦車(カドリガ)によるもの。当時の馬は馬格が小さく、乗用にも供されはしたが乗馬は実用的な価値を持たず、体育上の誇示に過ぎなかった(ホメロスイリアス』より)。騎馬競走がオリンピック競技になったのは、戦車競馬競技の採用から34年後のこと。さらに、紀元前496年のオリンピックでは、牝馬限定の競馬(カルペ)も競技に加わった。
 当時の競馬人気はすさまじく、ギリシア史上の有名人アルキビアデス参照)もまた、競馬に熱狂した人物のひとりだった。「彼の所有する馬の種類の立派なこと、戦車台数の多いことで有名だった。一私人にしろ王にしろ、オリンピックで一度に7台の戦車を出場させたのは彼だけであった。そうして彼は、1着、2着、4着(トゥキディデスによれば3着)をさらってしまったが、エウリピデスも指摘しているように、いかに野心にあふれた人物といえども、彼をしのぐ離れ業はできなかったのである」という記述が『プルターク英雄伝』に残っている。
 マケドニアの王フィリッポス2世もまた競走馬の所有に夢中で、古代オリンピックの騎乗、戦車の両競技にしばしば優勝した。紀元前356年のオリンピックでも彼の馬が優勝したが、ちょうどそれと同じ日、彼の妻オリュンピアスが彼の跡継ぎとなる子を産んだ。後のアレクサンドロス3世(大王)である。その日フィリッポス2世が、競馬(競技)場と産褥の側のどちらにいたかということについては、おそらく前者だったであろうこと想像に難くない。
(※この文章は『競馬の世界史』(R・ロングリグ著/日本中央競馬会弘済会発行)の記述を参照・一部引用し書かれています。)

へぇと思ったらこちら


▼というわけで。『競馬の世界史』という本がかなり前から手元にあったんですが、あまりの分厚さに萎え気味で、ずっと放置したままでした。で、なんとか読む気になる方法はないかと考えた結果、内容をちょっとずつこのブログで紹介していくことを思いついた次第。大して面白いエントリにはならない上に、思いのほか記事にまとめるのに手間が掛かることがわかって早速くじけ気味ですが、今後も気が向いたときにアップしていきたいと思います。