馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

作文:ディープインパクトと私。

今年は売り上げ、入場者とも減る - スポーツ報知

売り上げは開催288日で2兆8233億944万2000円となり、前年比で97・5%と微減。入場者も750万8297人と前年の92・5%に減った。

 ディープインパクトの引退レースで盛り上がった有馬記念も同様だった。入場者は前年の72・2%の11万7251人にとどまり、売り上げは同88・2%の440億2037万7700円だった。

▼クリスマスイブと重なって、入場者の減少は予測されていたことではありましたが、それにしても売り上げ共々ひどい数字。まぁそういう自分も有馬の馬券は買わなかったわけですが。なぜか。これはあくまで主観的な記述になりますが、結局のところ、僕はディープを一貫して“アスリート”としてしか見られなかったからだな、と。出遅れ、或いはゲートを出るとすぐ(つまりレース全体の流れを見極めないうちに)下げるところまで下げて後方をマイペース、自分の動きたい場所とタイミングから動き出すと、常に馬群の外を回って最終的には他馬を置き去りにする。それは果たして「競馬をしている」と言えるんだろうか? 極端な話、ディープが“競馬”をしたのは去年の有馬と今年の凱旋門賞だけで、あとはディープがいかなる走りをするか、という点にしかレースを見る上での焦点を合わせることができませんでした。然して、結果論的に言えばディープはその2戦のみにおいて苦杯を嘗めることになったわけですが、しかしその2戦についても、僕にはどうしてもディープが“敗れた”ようには見えなかった。批判を恐れず言えば、その敗北は「ディープに“競馬”をさせてしまった」鞍上・武豊の失地に他ならない、個人的にはそう思うわけです。ましてやあの薬物騒動など、馬自身にとっては汚点にこそなれ(致命傷どころか)瑕瑾にすらならなかったじゃないか、と(傷ついたとすればそれは人間サイドの方でしょう)。
 比べるのも変な話ですが、僕はグラスワンダーファンでした。いわゆる“グラ基地”とまでは行かない(と自分では思っている)ものの、エルグラスペの年度代表馬論争をネット上で繰り広げた挙句、エルコン支持派のネット知人と喧嘩別れする程度には熱くなっていました(って、充分基地か)。で、僕の主観では、ディープの体重を感じさせない“飛ぶ”ような走り、散文的に説明するなら<ストライドが体格に比して極端に大きく、一方上下動は極端に小さいために推進力のロスが少ない>走法と、グラスワンダーの重量感溢れる“弾む”ような走り、これも説明するなら<膝を上腕部が地面と水平になるまで高く上げ、叩きつける爆発力をそのまま推進力に転化する>走法は、他の凡百の馬たちに比して同じくらい「異質・異能」であった*1と把握しています。しかし、僕はかつてグラスに預託したような狂おしいまでの感情を、ついにディープには覚えることができませんでした。その差はなにか。もちろん、自身の競馬観が変わったこともあるでしょうし、加齢によって感受性が減摩したこともあるでしょう。しかし、グラスにあってディープになかったものはあるか、それは何か、と聞かれれば、僕は明快にこう答えることができます。それは、挫折であり、蹉跌であると。
 ディープの飛ぶような走り、そして結果としての輝かしい戦績から、僕は感動させられ、戦慄されられ、興奮させられました。さまざまなものを、ディープから「貰い」ました。しかしついに最後まで、僕はディープになにかを「与えよう」とは思えなかった。究極的に僕は、競馬から何かを貰いたいとは思っていないのでしょう。人生の限られた時間を、額に汗して稼いだ金銭を、行き場のない衝動を捧げるための、混沌として、しかし時に類稀なる輝きを放つ結晶をその中に生じさせる血と肉と熱と情の坩堝。それが僕にとっての「競馬」です。然るに、“翼を持つ”馬であるディープにとって、競馬のあらゆる軛は彼を縛りえなかった。彼は常に、彼自身のために走っていた。或いはそれもまた幻想であるのかもしれません。しかし、僕にとってのディープは、競馬という枠の中に納まり切れない存在であり、よって、「競馬ファン」としての情念を託す対象としては不適当だった。要するに、彼は他者に「何も求めていない」ように見えたのです。一方、グラスワンダーという馬には栄光があり、挫折があり、迷いがあり、復活があり、そして限界があった。彼はまさに競馬という坩堝の中で輝き、瑕(傷)つき、踠き、捲き返し、そして最後には飲み込まれていく「競走(争)馬」そのものでした。だから僕は、僕の持つ何かを彼に「与えよう」と強く思った・・・・・・つまりはそういうなんだろうな、と。「人生が競馬の縮図である」のならば、ディープの人生は決して僕、いや、余人とは交わらない軌跡(航路、と言うべきなのか)を辿ったのだ、と。
 以上、チラシの裏でした。


▼以下も、まぁ、チラシの裏的雑感。


インパクト夕闇の中5万人引退式 - nikkansports.com

 まだ早い−、凱旋門賞のリベンジをするべき−。さまざまな声も聞こえてきた。が、オーナーは言う。「今の気持ちは、ふぬけになったような、悲しいような、寂しいような。でも、あと1年間走りを見守るには、私のハートは小さすぎた」。

▼打算が無かったとは言いませんが、ディープを自分の所有物として、しかし何もできず見守る「だけ」ということの恐怖心というのは、なんだか分かる気がします。


 インパクトが退場するとき、流れたのは小田和正の「言葉にできない」。

 『あなたに会えて本当に良かった。うれしくて、うれしくて、言葉にできない』。

▼そんなんずるいわ、絶対感動するっちゅーねん。多分そんな演出に「感動してしまった自分」にあとで自己嫌悪を覚えると思うので、ある意味その場にいなくて良かった。



伝説は弟が受け継いだ!ニュービギニング大外一気…ホープフルS - スポーツ報知

 「責任を感じたのか、少しですけど飛びました。ディープ効果ですかね。まだ比較するのはかわいそうだけど、やっぱりさすが。血統ですかね。兄さんのようになってほしい」戦前は半信半疑だったという武豊も、来春のクラシックに向け手応えを得た様子だ。

 池江泰郎調教師の表情にも笑顔が広がった。「前走と違って、兄のまねをした感じ。こんな競馬は想像していなかったが、実戦で変わってきた。“新しい出発”という名前にふさわしい。兄の引退を飾るのに、ふさわしい役目を果たした」

▼出来すぎの演出ですが、演出家と役者の意識的な選択と確かな手腕あっての結果ですから、文句の付けようもありません。結局単勝2番人気だったというのは、いかに“ディープファン”がアスリートとしてのディープ以外に興味がなかったか、の証左でしょうか。で、ひねくれた(というか狙い方としてはまっとうなんですが)“馬券ファン”が俄かファンの捨て銭を狙って他の馬の単勝を買い撃沈、と。・・・・・・すいません、クルサード単勝をちょっと買ってました(懺悔)。

*1:そんな馬鹿な、という人は、1999年の有馬記念の映像を見返してみて欲しい。4角、(内目が荒れていたとはいえ)今年の有馬でディープが通ったよりもさらに外を、ディープに遜色ない勢いで押し上げていき、マーク(勝負)に徹したスペシャルウィークと内から伸びる(あの)テイエムオペラオーを抑えきった彼の雄姿を、そして大地も割れよと繰り出す彼の豪脚を。