馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

これが「甘えの構造」ってやつか

地方競馬主催者に対して総じて感じるのは、競馬は目的ではなく手段なんだという意識です。継続問題の論点を見ても、赤字額がいくらだとか借金の負担割合がどうだとか、あと失業する競馬関係者への雇用問題がどうとか地域経済への影響がこうとか、そういう金銭的な面ばかりが目に付いて、競馬そのもののあり方というのはまるで論点になりません。
 僕としてはむしろ、なぜそんな地方競馬を擁護しようとする人間が多いのか全く理解できません(直接的な利害関係者や、地元のコアなファンは除くとしても)。競馬そのものに愛着があればあるほど、杜撰で非主体的な所謂「地方競馬」というものの凋落に対して冷笑的になるはずなのに、なぜああも同情的になれるんでしょうか。自分に対しても他者に対しても、徹頭徹尾「甘い」としか思えません。まぁいかにも日本人的な思考回路と言ってしまえばそれまでなんですが。
 まぁ、「賭ける対象があればなんでもいい」という<馬券にしか興味がない人> 、もしくは「そこに競馬があればいい」という<普段馬券もロクに買わずに楽しそうなトピックだけつまみ食いしてる人>であれば、数字的な裏付けもマクロな視点もなく、短絡的もしくは感傷的に「なんで無くすんだよもったいない」という論調に終始するのも分かるんですけど、ね。

甘えとは、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという、日本人特有の感情だと定義する。

甘えの構造 - Wikipedia


<参考>
地方競馬 - Wikipedia
▼誰が書いたのかは分かりませんし、細部の正確性や整合性も丸々信頼できるわけではないと思いますが、地方競馬の問題点をわかりやすくまとめてある文章ではないかと思います。これほど歪で突っ込みどころの多い、現在までの地方競馬という存在に対して、一義的に「守れ」と叫び続けるなんて、僕にはとてもできないことです。

一方、一般的な自治体がバブル期に作った夥しい数の第3セクターや、水道・下水道などの公営企業がそれぞれ背負ってしまっている巨大な負債と比較すれば、(岩手のような例外を除いて)赤字の規模も小さく、また徴収された税金が建設業界のような特定の業界だけに集まる仕組みと異なり、投じられたファンのお金が農業・雇用・観光など公的な分野に回転していくことや、競馬ファンを通じて首都圏や関西圏に対する知名度のアップにもつながることから地方競馬を(特に馬産地・観光地である道営・ばんえい競馬は)保護するべきだという意見もある。

ちゃんと岩手を例外扱いしてるのも書き手の見識を感じます。どうも岩手競馬は特定の業界との癒着構造そのもののような組織だったみたいですからね、詳しい人の話を聞く限り。この書き方は良くないな、まぁオーロパークの存在自体が雄弁に物語ってると言えるでしょう、って感じにしときます。


<追記:参考>
http://soccerboy.atnifty.com/diary/txt/iwate070316.html
▼勝ち上がり制採用&地方競馬減少→交流競走減少によって、オープンクラスがいずれ大混雑するのは目に見えてるわけですから、競馬法的に空いてる3開催×8日をオーロパークで施行する、という案は悪くないんじゃないの、とも。春〜秋まで福島と岩手を交互に開催して、その分主場開催での上級条件戦やオープンをさらに増やす。もちろんダービーグランプリ南部杯オールカマー的な出走条件にして中央開催として継続。机上の空論としては悪くないように思えるんですけどね・・・・・・と、これこそ無責任な発言ってやつかもしれませんが。