馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

私的“イグJRA賞”考

▼まず色々な意味で誤解なりなんなりを避けるために書いておきますが、以下は“イグJRA賞”というフレームワークに対して個人的に「こうあれかし」と思う有り様の雛形です。所謂“イグイグJRA賞”とそれに関する(あるいは続く)言説とは一線を画していますし、今回の企画主体となったトラセン(の中の人)とのコンセンサスを取った上での表明でもない、という点を確認いただければ、と。なので、タグも敢えて“2007”としておきます。イグにしろイグイグにしろ、“2006”開催を非難したりあげつらったりする意図は毛頭ありません。


<定義>

  • 最大限大雑把に言うと、イグJRA賞とは何か?
    • 「あなただけのJRA賞」である。
  • 「あなただけの」とはどういう意味か?
    • 本家JRA賞という既成の枠組みに囚われず、個人の価値観に準じて勝手に表彰する、という意味である。
  • 本家JRA賞の枠組みのどこに不満があるのか?
    • 細かい点は色々あるが、一番大きいのは「評価の基準・対象が、狭義・一義的過ぎる」ことである、と認識している。
  • では簡潔に言って「イグJRA賞」の意義とは?
    • 本家JRA賞ではフォローしきれない、しかしファンにとっては思い入れ深い対象にスポットライトを当てるためのカウンター(対抗馬)としての表彰システムである、と認識している。
  • 名に“JRA賞”という名を冠しているが?
    • 名前を借りた企画ではあるが、そこに本家JRA賞への追随というニュアンスはない。というか、そうであればこんな賞の存在意義がない、と認識している。
  • 「あなただけの」という基準さえ満たしていればなんでもよいのか?
    • "「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して" "時には笑いと賞賛を、時には皮肉を込めて授与される"(wikipediaより)というイグ・ノーベル賞に倣う形で着想されたが故に、「笑い」という要素は必須である、と考えている。
  • それでは「あなただけの」と呼ぶには狭義過ぎないか?
    • 笑いほど多様な感情表現はなく、歓笑・喜笑・微笑・冷笑・苦笑・嘲笑・失笑・哄笑・高笑・朗笑・窃笑・媚笑・憫笑・一笑・艶笑・呵呵大笑と、その気になればいくらでも拡大解釈は可能である、と認識している。
  • では、敢えて「笑い」という枷を嵌めなくてもいいのでは?
    • 「笑える」の対偶を「真面目な」と想定すると、“真面目な表彰”はJRA賞もしくは各種マスコミ報道によってある程度フォローできており、そのカウンターとして企画を機能させるには、枷というよりむしろ武器となりうる要素だ、と認識している。
    • また、エントリを集めるのに一定の指針がないと収拾がつかず、読み手にも「ユーモアがある記事が揃っている」という明快な訴求力を発揮できる、という実務的な効能も期待できる。


<表彰>

  • JRA賞のカウンターとして着想された賞というのは理解したが、記者投票に相当する読者投票によって大賞および各部門賞を決める、という手続きは本家に倣うべきではないか?
    • ここが大きな争点になった部分ではあるが、個人的な見解をはっきりさせておくと、JRA賞における“記者投票”は、イグJRA賞における“記事投稿”である、と認識している。
  • ん、どゆこと?
    • 本家において“記名投票”“投票理由の明確化”というのが論点になっているが、「記事の投稿」という行為は申し分なくその2点を満たしていると認識している。
  • え、でも「どれが一番イグか」みたいなのはどう決めるわけ?
    • 決める必要はない、と認識している。というか、それを多数決で決めることは、「あなただけの」という大前提と言い訳しようもないほど矛盾しているので、むしろ積極的に「やってはいけない」ことだ、と認識している。
  • つまり?
    • 表彰の“対象”に対して優劣をつける必要はないし、つける意味もない、と認識している。
  • じゃあ“イグJRA賞実行委員会(事務局)”的な組織としては、表彰記事を募るところまでで仕事終わり?
    • エントリ投稿者による“表彰”によって、“表彰”という行為自体は完結している。エントリを「募り」、あとはそれらを「まとめて」「公開する」こと、その3点で最低限の意義は果たせる、と認識している。
  • 投稿者にとっては、それじゃあちょっと寂しいんじゃないの?
    • 「こんなイグを見つけたよ」「こんな笑える記事を書いたよ」という“書き手”に対する表彰というのは、絶対必要、とまでは言わなくともあって然るべきか、とは思う。ただそれを仮に投票で決めるとしても、記名投票である必要性はないだろう、と認識している。
  • それをやるとしたら、部門ごと、そして大賞、というふうに本家JRA賞に倣ってやるの?
    • 繰り返すが“イグJRA賞”としての表彰は、記事の投稿によって完結している、と認識している。投稿記事を一覧にまとめる際に、ユーザビリティ(主にリーダビリティ)を考慮して大雑把にカテゴライズすることはあっていいが、基本的には“部門”名称についても投稿者の(勝手な)裁量に委ねるべきだ、と考える。
  • 例えば事前に部門を定めて、その枠に従って投稿を集める、というシステムは?
    • ナンセンスである、と考える。そうしたお仕着せの賞レースから逸脱する評価対象を拾うためのシステムを目指すべきであり、そうでないのなら単なるサブ・JRA賞に成り下がる、と認識している。
  • まとめると?
    • “イグJRA賞”という表彰とは別に、そこに投稿されたエントリに対して「グッドエントリ賞」的な表彰はあるとより楽しい気がするが、それは“競馬に関わる馬・人・モノ”への表彰とは別次元のものとして行われるべきではないか、と考える。
  • じゃあなんでテメー自身は投票してるんだよ!
    • “イグイグJRA賞”に対しては、確かに投票しました。


▼というわけで、とりあえず個人的な見解をまとめてみました。一応「発案者」ということにされていますが、実質的な発案者は有芝まはる殿下@殿下執務室であって、僕はラックからこぼれたボールを拾ってキッカーに投げただけなので、本来こうしたことを考える筋合いでもないのかもしれません。ただまぁ、単なる思い付きから折角まがりなりにも第1回が施行されるまでに至ったのですから、今後につなげるためにも、賞のあり方について建設的になりうる何かを残しておこうかな、と。てなわけで、ご意見などあれば是非コメント・トラバくださいませ。