馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

馬と競馬はあなたのものだ

馬と競馬は誰のものか - 須田鷹雄の日常・非日常
▼これ、もちろん藤田騎手の行為が常識・良識的に見て好ましいものでないのは確かですけど、100%否定するのもどうかという気になるんですよね、個人的には。

 標題の答えは実はひとつじゃなくて、いろんな人がいてこその競馬だと思うんですよ。だからこそ、一人のわがままや暴走で他の人の競馬ゴコロを傷つけるようなことはしてほしくない。

というのは物凄くごもっともな話。なんですけど、もし自分が単なる一ファンとしてこのイベントを見に行ったとして、そこに藤田だけが(立ち位置バミってあるにも関わらず)いなかったと気付いたら、多分憤らずに笑っちゃうでしょう。もちろん「よくやった!」っつう快哉の笑いじゃなくて、「また藤田か」という失笑ですが、別に不快感を覚えるといったところまでいかず、すぐに別の騎手に意識が向くと思います。まぁ、もし仮に藤田がタスカータソルテ(でもマイネルフォーグでもなんでもいいですが)に騎乗予定で、自分がその出資者としてワクワクしながらイベントに参加してたとしたら複雑でしょうけど。ただ、一口馬主はともかく、個人馬主は騎手や厩舎を選ぶ権利がある程度あるんじゃね? ってのは、件のアドマイヤのケースが物語る通り(あんなんレアケースやんけ、という話ではありますが、どんな零細馬主でも最終的な拒否権=転厩・退厩は保証されているはず)。“他の人の競馬ゴコロを傷つける”とありますが、こういう藤田騎手的な振る舞いによって心底傷つく(そしてそれを回避する術が無い)人ってのが一体どこにどの程度いるのか、というのはある程度明確にしとかないと、説教するにしても「みんなが迷惑してるんだ!」的な説得力の欠如が露呈するのではないかな、と。


▼あと、もちろん見る人次第というところではありますが、競馬がギャンブルスポーツかつショウビズ的な側面を強く持っている以上、こういうプロレス的な振る舞いを面白がる空気ってのは、一部のファンの中には今も強くあるし、多分今後もある程度の割合で残っていくでしょう。で、そういう層にいる人たちがピカレスク・ロマン的な競馬を愛し、藤田のようなピカロに感情移入するということ自体は、正直なところ僕には全然悪いことだとは思えないんですよね。

ピカレスク」の語源はマテオ・アレマンの『ピカロ:グスマン・デ・アルファラーチェの生涯 』の「ピカロ」から。悪者と訳されるが、単なる悪い人ではなく、この小説の主人公グスマンのように、

  • 出生に含みのある表現がある(ユダヤ人、娼婦の子であることを暗喩しているものが多い)
  • 社会的には嫌われ者である(が、カトリック的には慈悲を施すべき対象)
  • 食べる(生きる)ために罪を犯したり、いたずらをしたりする

というような特徴を持った者のことを「ピカロ」という。

ピカレスク小説 - Wikipedia

まさに藤田そのもの、という定義ではないかと。


▼これが勝った時の表彰式ボイコット、とかだったらさすがに洒落にならないと思いますけど、その辺の分別(スジ、と書いた方がそれっぽいか)というか最低ラインは弁えてるからこそ、ここまでの成績を残してきたんだろう、という考え方はできるでしょう。まぁどこをボーダーラインと捉えるかは人それぞれでしょうけど、少なくとも3ヶ月の騎乗停止の後、正味2ヶ月で28勝してるんですよね、この藤田という騎手は(結果論ですが、結果論で語ってもいいところでしょう、ここは)。ちなみにこの期間中に藤田を乗せた厩舎は、数が多い方から順に以下の通り(括弧内は騎乗数、5走以上のみ列記)。


▼あと、ちょっと前にNHKマイルC後の取材拒否宣言がどうこうみたいな話も出てましたが、取材拒否って、スポーツ界では別によくある話じゃないんですかね。例えばプロ野球なんて、(主に監督の)試合後コメント拒否はおろか、乱闘も裏金乱舞も日常茶飯事ですけどね。比べてしまう僕の感覚がおかしいんでしょうか。まぁ「両方悪い」と言ってしまえばそれまでですが、競馬界に特有の病理じゃないってことは確かかなぁと。それにマスコミ問題で言うなら、昔あった武豊競馬ブック断交も大人気なかった・・・・・・っつうか、自身の立場を利用した恫喝的行為という点で、余程えげつなかったと思いますし。


▼もちろん、競馬がどんどんレジャースポーツ・メジャースポーツ化を指向する流れというのは変えられないでしょうし、その中で藤田のような有り様は否定され、居場所を無くし、やがて淘汰されていくんでしょう。ただ、

 これは藤田騎手だけの問題じゃなくて、程度の差こそあれ同種のメンタリティというのは一部厩舎人にあるんです。それを解決しないと、日本の競馬は次のステップに行けないと思います。

こういうメンタリティが幅を利かす余地を無くさないと行けない(と須田さんは言う)“次のステップ”っつうのが具体的に一体どこらへんを指してるのか、僕にはイマイチ見えてこないんですよね。誰か「何言ってんだ、ここだよここ!」と教えてくれる人募集。



<「あなたの、そしてわたしの夢が走っています」。杉本清さんは言いました。あなたの夢は綺麗なバラ色で、それは素晴らしいことでしょう。でも、わたしの夢はくすんだ灰色で、そしてわたしはその色が好きなのです。それは、そんなに悪いことなのでしょうか?>


▼・・・・・・もうそんな時代じゃないのです、という話ではあり、それは重々承知しているんですが、元来がひねくれ者なので、ついこういうことを書いてみたくなるのが悪い癖です。



▼あと、これもいちいち書くのは野暮なんですが、これは別に藤田騎手の一連の行為を擁護した、あるいはその意図がある文章ではなく、筆者にもそういう感情は一切ありません。意図があるとすれば、それは単なる疑義照会であり、それ以上の何かは含まれていません。
 ・・・・・・(笑)とか(怒)とか(皮肉)とか(本気)とか要所要所で挿入しておけば、別にこんな蛇足は必要なくなるんですかねぇ。