馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

ウオッカはおかわりできるか否か

ウオッカ宝塚参戦、軽く現状の雑感。 - 殿下執務室2.0 β1
▼本来、あらゆる意味で規格外のトリックスター的性質を持っていたはずのディープは、三冠達成という十字架を背負ったがゆえに3歳時の海外挑戦権を断念せざるをえず、また古馬になってからは、ファンサイドからの英雄視と、種牡馬ビジネスサイドからの損得勘定によって、池江師が本来描いていたリベンジマッチを果たせないまま「大団円を迎えさせられ」ました(それに対し否定的なニュアンスで書いているわけではなく、単なる結果論的な把握として、ですが)。しかしウオッカは、そんなディープとは対照的に桜花賞で2着に負けたことで「牝馬チャンピオン」としての枷から解放され、結果として牝馬によるダービー制覇という重要な文化的役割を果たした、正しくトリックスターと呼べる存在なのではないかな、というのが個人的な印象です。
 よって、ウオッカを単なる「名牝」として扱うのであれば、1番人気を背負いながらタップのプレッシャーに沈んだファインモーション有馬記念のように、その後のキャリアに大きく影響する一戦になってしまうかもという危惧もありますが、これまでの流れと角居師のスタンスを鑑みるに、どうもそれは杞憂に終わりそうな予感がします。そういう意味では“ここで騙されておくのは悪くないか”という殿下の感覚に非常に同調できるなぁと。というかむしろ、ダービー制覇という一種の「憑き物」を落とすためにも、この宝塚参戦ってのは格好のキャリア・ロンダリングになるのでは・・・・・・って、敗戦を前提に考えを進めるのもアレな話ですが。
 ただ、陣営の真の意図が奈辺にあるかは別にして(壮行会的なニュアンスとレース間隔調整ってのが一番無難な推測かとは思います)、宝塚参戦によってウオッカが失う(かもしれない)ものってのは、得る(であろう)ものに対して非常に少ないよなぁとは思いますし、その辺まで計算してのローテであれば、一種の凄みを感じさせる戦術的選択ではなかろうかと。それが殿下の指摘されてるような、

宝塚を使うという意思は、イコール「今年で引退させる」というメッセージと受け取ったほうが良いのではないか。

という戦略に基づいたチョイスであるなら、なおのことです。
 ただ、これは完全に主観の問題になりますが、ウオッカという馬はファインモーションシーザリオあたりが感じさせた一種の危うさみたいなものを纏っていないような気がするだけに、最高にうまく運べば古馬になった後も現役を続け、All Alongみたいなキャリアを積むかもしれない、と思える面もあります。まぁその辺は、ウオッカの体調・成長力と古馬との力関係、そして角居師・谷水オーナーの思惑やオペレーション次第であり、想像しても仕方ない部分ではあるんですが。しかし個人的には、少なくともあのダービー、あるいは来る今年の凱旋門賞が、キャリアの終着点となるイメージはあんまり湧かないなぁと。角居師といえば安田記念14着のディアデラノビアを予定通りアメリカに送るような人ですし(別にけなすニュアンスはありませんが、出資者さんの中には嘆いておられる方も・・・・・・)、谷水氏にしたって最終的に自分の牧場に戻すしかないわけですから、オーナーブリーダー制を維持しきれなくなったカントリー牧場の台所事情を考えても、ぶっちゃけた話走れるだけ走ってもらった方がいいでしょうしね。そういう意味で、変な幻想の介入しにくい牝馬ではあるなぁ、とは皮肉抜きで思います。・・・・・・いや、単に自分がそう思いたいだけなのかもしれませんが。


▼なんかとりとめない文章になってしまいましたが、ひとつ言えるのは、結構自分がウオッカのことを気にし始めてるってことでしょうか。基本的に隣のG1馬より自分とこの未勝利出資馬、というスタンスの一口冥府魔道を往く身としては、これは久しくなかった感覚です。まぁ、明日になればまた社台のカタログとにらめっこを再開するんでしょうけど(えー)。