馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

もう決して若くはないつもりですが

Racing Blog:雑記(4) 釣られてみる - livedoor Blog(ブログ)

「”この国の競馬”を舵取りする立場のJRA」という文言に内在しているらしいJRAへの期待であるとか、ちょっとア・プリオリに言葉を信じてないかい?という問題提起。(ぶっちゃけ、信じてないとは思うけど(笑))

▼はい、ぶっちゃけ信じてません!(笑)まずもって、ああいう表現を使った理由は、河村氏の

ただ一連の「クラブ法人軽視の風潮」ともあいまって、
この国の競馬は今、「大衆の競馬」から「お金持ちの競馬」へ
大きく舵を切っているような気がする。

“競馬場通り”の住人:オーバーペースに気を付けて

という抒情詩に対する返歌みたいなものですので。へー、誰かが“この国の競馬”の“舵”を主体的かつ先導的に取っていると思ってるんだ、と。まぁ実際河村氏がそこまで考えて書いていたかどうかは別として、字面からの印象ではそう受け止めざるをえないところで、しかもその関連事項としてクラブ法人云々という面が挙がってくるとなれば、これはもう体制としての(つまり農水省>JRAが管轄する)日本競馬という前提で語ってるんだろう、と捉えたわけです(地方競馬無視なのはデフォルトです、すいません)。
 しかるに個人的なスタンスとしては、いみじくもbird氏がノモケンとのやり取りを通じて示されているのと同じく、競馬はレースも業界全体も総じて複雑系であり、一元的に把握できたり主導されたりするものではない、という理解でしたので、どうもそうではないご様子の河村氏に対する皮肉というニュアンスが強かったですね、ぶっちゃけた話。それを「若い」と言われるなら、それはもう「坊やですから」ということで全面的に認めます(笑)。


▼とにかくあの河村氏のエントリで気に掛かったのは、視点の自己中心性というか、複眼的な物の見方ができない人だなぁという点ですので、“JRAにはJRAのエゴがある”というbird氏のご指摘は、もう我が意を得たりとしか言えないところです。まぁ、胴元としては各方面からのエゴをある程度調整する役割というのも担ってしかるべきなんでしょうけど、それを「舵取り」と表現するのは違うんじゃないかと。ひとつ船に乗ってどこかに向かってるような一心同体性は感じられないですね、日本競馬という総体については。
 それゆえに、できるだけ理性的たろうとすれば、勢い各論に終始しなければならない・・・・・・という流れに忸怩たる思いもなくはないんですが、かといって

もっと開き直っていいんじゃないか、ストレートに書いていいんじゃないかと、若いんだからさあと。

というお墨付きをいただいたところで、じゃあ、と屈託なく放言できるだけの度胸も知見も若さも僕にはない・・・・・・かも。ゆたゆたさんはどうだか知りませんが(笑)。


▼とはいえ、

実際、JRAの舵取りなんてファン総体が指し示す所は絶対無視できないし、ファンが率先してどんどん先に行かないと競馬はどんどんおかしな事になりかねない。一介のライターに構ってるヒマはないよ、君たち!

という激励(と捉えてよいでしょうか)は胸に沁みるというか耳が痛いというか、とにかく機会があれば、多少の誤謬は怖れずある程度大上段から、あるいはある程度先鋭的に物を考えてみるのもいいかも、とは思いました。冒頭で「信じてない」とは書きましたが、深いところではいまだに言霊的な存在を信じている痛い人間なので、なんとか自分でその一端に触れるような言葉が紡げればいいなぁ、とは常に考え続けてみます。ご助言に感謝。


▼誤読してないか不安ですが、とりあえずそんなところで返答とさせていただきたく。