馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

できれば空気なんて読みたくなかった

空気を読めと言う人は会話が下手かもしれない:しっぽのブログ
▼しっぽさまが引用されてる元エントリ含め、先にお笑い的な観点からの感想。

「そもそもプロの芸人なら、なるべく素人を使わずに笑いを作って欲しいです」

 いや、「空気の読み方を知らない素人から面白さを引き出せるぐらいの話芸・話術がプロ芸人(司会者)にはあって然るべき」という主旨なんだろうとは思いますけど、それを踏まえてなお、そう思います。


▼以下、一般的なコミュニケーションにおける「空気」について。
 とにかく日々生きてて、そしてブログ(とか文章全般)書いてて常に思うのは、「自分はつくづく笑いのセンスが無い」ということです。関西人なので、“笑い”をそのまま“コミュニケーション”に読み替えてもらっていいのかもしれませんが、とにかくああいうのは割と生来的というか、天性のものなんじゃないかと思います。特に小学生時分までは、周囲にイジられることでなんとかアイデンティティを保ってるような存在だった記憶があります(あんまり覚えてませんけど)。
 そんな自分が多少なりとも変わったのは、『怒涛のくるくるシアター』という番組(参考1参考2)との出会いからでした(なんか自己啓発セミナーみたいな物言いだな)。「世の中にはなんて面白い人がいるんだろう!」と雷に打たれたような気分になり、毎週録画しては繰り返し観るという痛い思春期を過ごしたことを、ノスタルジィと多少の後悔と共に思い出します(内容はやっぱりあんまり覚えてませんが・・・・・・テンションの「ロリポップ」は印象的でした)。
 ともあれ、それを期に『ごっつええ感じ』やら(くるくるシアターが1990年からで、ごっつは1991年から)天然素材系のお笑い番組やらをわりと意識して観るようになり、連れて、以前は受身だった対人関係は、徐々に対等、もしくはイジる方に回ることさえ増えてきました。社会人となった今では、部下をイジり倒す毎日です(←所謂パワハラ)。
 まぁそれはともかく、少なくとも関西で生きるに困らない程度に「空気が読める」ようになれた(と自分では思っている)のは、ああいう「空気を読む」ことを要求してくる番組のおかげなんじゃないかと(やっぱり自己啓発セミナー的だな、ちょっと恥ずかしい)。


 でも、例えば大勢の前でも場の空気を支配できるような能力は、どう頑張っても身に付きませんでした。なんというか、ナチュラルに面白い人、もう少し汎用的に言うと「自分で場の空気を変えたり作ったりできるぐらいのポテンシャルがある人」は、別に「空気を読もう」なんて意識しなくていいんですよね。でもそういう選ばれた人はごく一部で、あとの人は空気を読む・空気に合わせる意識とスキルがないと、すぐ「ウザい」「寒い」というレッテルを貼られてしまう。
 だから、こういう言い方は良くないのかもしれませんけど、ある程度「身の程を弁える」ことはコミュニケーション上のマナーとしてあっていいのかな、と。・・・・・・そりゃ僕だって、空気を読まずにどっかんどっかん笑い(とか場の会話の主導権とか)を取れるんだったら、別にわざわざ読もうとは思いませんよ、ええ。
 ただ、「他人に対して<空気を読め>と強要すること」「<空気読めねえなお前>と直接指摘すること」って、ものすごく空気読めてない行為だとも、同時に思います。なので、“空気を読めと言う人は会話が下手かも”というのは、すごくよく分かる感覚です。


▼以下、またちょっとお笑い観点から。
 そういうお笑い経験を経て大人になった自分の感覚として、最初にも書きましたが「プロの芸人が素人をイジって笑いを取る」という行為自体に、あまり品の良さを感じない、というのはあります。もちろんポテンシャルが高い素人がノリノリでやる(『細かすぎて伝わらないモノマネ〜』に出てくる人とか)分にはいいと思うんですが、「ポテンシャルの高い/空気が読める面白い人同士」が(たとえ内輪ネタが多くても)相互干渉によって笑いを作っていく、あるいはそういう人が「自分の身を張って」笑いを取りにいく構成の方が、個人的には安心して楽しめます。
 とはいえ、これは是々非々ではなく好みの問題だと思いますし、最近の芸人同士のクネクネ番組が面白いかと言われると、僕のようなタイプの人間でも微妙ではあるんですけど。


 ただ、トラディショナルな漫才やコントのような「見せられるお笑い」ではなく、くだけたフリートーク的な「日常感覚に近いお笑い」に親しんだ世代が特に若年層中心に増えてきていて、「お笑い的なる空気」にアジャストできる人は昔より多くなってきている気もします。そういう一定の共通認識が浸透してきている現在、たとえばさんまさんの、

「ボケーっと立ってるゲストが居る。
 さんまさんはその立ってるだけのゲストに向かって、
 計算し尽くされたパスを放つ。
 そのパスはゲストの足に当たってそのままゴールに入る。
 結果、ゲストは何もしなくてもシュートを打ってゴールを決めた図になる。」

http://scott.seesaa.net/article/20018514.html

というような豪腕で「仕切る」スキルや趨勢はオールドファッション化していって、若い才能は「お互いに面白いことを発信しあって相乗的に高めあっていく」方向性にどんどんシフトしていくんじゃないかなぁ、と。どこまで実現性があるかは別にして。


▼と、そこまで書いて、「あれ、それってちょっとネタ職人系ブログ(主にはてな界隈)っぽいな」という感覚もあり。面白い人多いですよね、ほんとに。


<関連1>
socioarc | 空気読み力テスト

判定結果

空気読み力: 45(Aクラス/一般人)


▼まぁ、こんなものでしょうか。ブログ界隈での空気の読み方は、いまだによく分かってませんけど。空気読むって難しい・・・・・・。


<関連2>
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/m20070909035.html
▼こういうお年寄りにならないためにも、マナーとして空気は読めるに越したことはないんじゃないかなぁと思ったり。とはいえ「マナーを守れ!」という主張は自家撞着(マナーは内在的・自発的なものだと思ってますので)っぽいのが難しいところですけど。