馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

わたし(あなた)のためのはてなブックマーク

はてブ論熱が一部で再燃しているようなので、新参者として色々と過去ログを漁ってみたりしているんですが、先日の青いエントリを書く前にやっておけばよかったと汗顔の至り。とはいえ、「はてブは道具で、使い方は人それぞれ」という自身の把握を大きく変えるような意見は今のところ見当たっていません。


▼そもそも自分の記事に付いたはてブコメントをどう捉えるかというのは人それぞれで、それこそブクマが付きはじめたらブクマページをリロードしまくって一喜一憂する人から、はてブの存在を知らない人まで様々でしょう。はてブというシステムが一義的な(あるいは「正式」な使い方や理想のある)ものだと考えたり、どうにかして工夫すれば無謬のものたりうる、というのは一種の幻想なんだろうと思います。そして、その前提に立ってプラグマティックに評価すれば、今のはてブのシステムに大きな問題があるとは、個人的にはあまり感じません。少なくとも、メリットを相殺するほどのデメリットがあるとは思えない。
 前も書きましたが、ある道具をどう使おうと(向き不向きはあるとはいえ)自由で、例えば斧で家を建てるための木を切ろうが尊属殺人しようが、問題は道具ではなく行為と結果でしょう。道具自体の危険性が無視できないなら、使用者側ではなく道具側から掣肘する動きも必要なのかもしれませんが、銃のように攻撃性が明確なものでも法的に規制できないような国はあるわけで、なかなか一筋縄ではいかないだろうなぁと。
 一般論を言うなら、自分の文章(思考)を公開する以上、その反応を求める意志がもしあるのなら、それに対する予防線(精神衛生的なものにしろ、論理的な問答の想定にしろ)を事前に張っておくだけの覚悟というか、心構えは必要なのではないかと思います。それは、「ネットで実名や住所をみだりに公開することの危険性」と同じ次元にある基本的なリテラシなのではないかと。もちろん通り魔的な突発的悪意に対しても毅然としていろ、とまで言うのは要求が高すぎるのかもしれませんが、通り魔殺人現場としてのはてブ(ページ)というのは、あまり向いている場所ではない気もします。捨てハンで攻撃するのにもid取得という手間賃がかかりますし、反応する閾値が低いだけに「悪意に対する非難」も表面化しやすい印象がありますので。これが例えばブログのコメント欄での揉め事なら、我関せずで済ませる人の方が多いのではないでしょうか。
 逆に、もし反応を求めず言いっぱなしだけで満足なのであれば、ブクマコメント含め被言及に対する一切のチャンネルを(ブログの機能的制限に、自分のweb上での行動様式的制限を組み合わせることで)閉じることは理論上可能です(感情的にどうかというのはまた別の話かもしれませんが)。攻撃性があるという点で、道具として銃とはてブがクリティカルに違うのはそこで、要するに「引きこもりブロガーを撃つ銀の弾はない」だろうと。
 しかし実際問題、文章なりコンテンツなりを公開するのであれば、それに対する反応なりコミュニケーションなりというのは、顕在的にしろ潜在的にしろなんらかの形で求めている人が多いでしょう。なので、あとは無断リンク問題と同じで、究極的にはレイヤの違う立ち位置同士のかみ合わない議論か、マナーという拘束力の無いものの押し付け合いに行き着くしかないんじゃないか、と想像しています。


▼自分自身の経験で言えば、以前にホッテントリから見つけた、これまで閲覧したことのなかったブログのエントリに付けたブクマコメントに対して、そのエントリの書き手(と思われる人)からのオブジェクションをid記法付きで投げられたことがありました。その疑義そのものは、喧嘩腰で内容もアレだった(と自分は思った)ため、慇懃無礼にトラバ返しさせていただきましたが、一方で、その頃は「公開されている独り言」ぐらいの意味論しか見出してなかったはてブコメントについて、色々と考えるようにもなりました。
 なので、ブログ記事にしろそれに付けるブクマコメントにしろ、上に書いた「予防線」というニュアンスも含め、常にそれを読む可能性のある人の意識を忖度しながら書かないとなぁ、という自覚は持つようになったと思います(特に個人ブログに付ける場合)。実行できているかは自信ありませんけど・・・・・・。
 そんなのめんどくさい、言いたいことをそのまま書きたい、という考え方ももちろんあるでしょう。ただ、自分としては「自分が楽しむため」に使っている道具なので、それによって自分が(そしてできる限り他者も)不快にならないための自主規制というのは使用料もしくは税金みたいなものかな、と割り切ってやっていこうと思っています。あと、はてなスター実装後は、☆を付けてくれる人たちをがっかりさせるようなコメントは控えないと、という動機も加わりました。自意識過剰かもしれませんけど。
 もっとも同じ文脈で、「オレは揉め事が楽しくて快感だからブクマコメントで煽りまくるぜ!」というスタンスも肯定されてしまうのはアレですが、その辺は良識に任せるしかないだろうと一種諦観しています。ただ個人的には、はてブという学校全体の窓が割れまくってるような印象は全く無いんですけどね。たまに学級崩壊してるっぽい一角も見かけますけど、そこにはなるべく近づかないようにしようと思ってます。


▼それでも自分に向けられる(批判ではない)悪意があればどう対処すればいいか・・・・・・。個人的には、「今日、耳日曜」の精神しかないだろうと覚悟しています(覚悟と言っていいのかそれを)(というか死語)。


<追記>
はてな村民の魔女狩りに断固反対します!
▼<はてな異端審問所>的なコミュニティが存在するというはてな観。こういう「魔女狩り」的な横の連帯、もしくは上からの抑圧が問題視しなければいけないレベルで実在する・・・・・・という発想がどうも理解できないんですが。また、はてブページのインターフェース的に、そうしたスクラム的な「印象」を与えやすい、という構造的欠陥があるんだ! とか言い出したら、それこそキリがないような気がしますし。