馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

茶番も出花。

▼ほぼ3日ネット環境から離れてると、なんかどうでも良くなりますね。まぁすぐ元の木阿弥でしょうけど。というわけで、リハビリ代わりに投げられたトラバに軽く反応。


「福島へ行け」発言について〜天皇賞(秋)2007 - 血統の森+はてな

ここで重要なのは、どうしてラジオたんぱなり、スポーツ紙経由で「福島行け」と書かれてないのか、ということなのではと思うのですよ。

▼はぁそうですか、としか反応しようがなく。というのも、引用してもらってる部分で僕が表明しているのはあくまで<「騎手同士が敵愾心を表に出すこと」への肯定>という点であって、福島云々についてはその次の段落で「別に大きな問題がある発言とも思えず」と書いた通り、特に重要視してません。よって、時事の記事の福島発言部分が飛ばしであろうがなかろうが、僕のエントリにおいてはほとんど影響がない・・・・・・ように書いたつもりだったんですが、伝わらなかったのは自分の筆の未熟振りを嘆くべきか。
 あと余談ですが、飛ばし記事や釣り記事に素直に反応するというのは、別に悪いことじゃないよなぁとも。釣られるべきはしっかり釣られておいて、あとでその元情報が間違ってたとなれば、そこで改めて反応すればいいわけで。問題があるとすれば、釣りかもしれない記事に基づいて、例えば今回なら福永を調子付いてバンバン叩いたりすると、後で「釣りでした」となった時に気まずいよなぁ、というモラルの部分が大きいでしょう。だもんで、基本的にはどんな記事に対しても節度を持って反応したほうが無難だ、というマナー的な部分に収斂するんじゃないの、と。まぁあからさまなエイプリルフール記事に釣られるのはアレですけど。
 その点今回の構図が似てると思うのは、悪いのはあくまで「斜行した方/釣り記事を書いた方」であって、「斜行で被害を受けた方/釣られた方」ではない、ということでしょう。やられた/釣られた方に「引っかかったオメーが悪いんだよバーヤバーヤ」と言うのはその人の自由なんですけど、大前提としてどっちが悪いのか、ってことを弁えた上で言うかどうかで、結構ニュアンスは違ってくるんじゃないかなぁと。や、時事の記事が釣りだって言いたいわけじゃなく、同じ論法で語れる話だ、という一種の喩えですけど。
 ただ、これが騎手論ではなくマスコミ論であるという前提であれば、「時事の記事が釣りでなかった」場合は確かに問題だよなぁと思います。他のメディアが問題発言とみなして自主規制したのか、取材力不足だったのか、もしくはネットに出てないだけで紙面では触れていたのか。その辺が知りたい気はしますね。

ショーマンシップとありますけど、ちょっとどうかなと思います。魅せるならレースで華麗に魅せてほしいかな。

▼これもよくわからないんですが、レースで魅せることと、レース前後に魅せることってのは両立・並立しないもんですかね? まぁ、カンパニーとブライトトゥモロー複勝・ワイドが本線というヘタレな参加方法だった僕としては、「福永はちゃんと仕事したよ」という感覚も無くはないかもですが。
 ちょっと話は逸れますが、「騎手コメント」の流れでひとつ。どうもレース前に、ユタカがバルクの斜行を警戒してるようなコメントを出してたらしいというのを仄聞したんですが(自分ではソースを見てないですけど)、それってことレースに関しては、事前に言うべきではないよなぁと僕は思いました。そんなふうに手の内を見せても、五十嵐冬を含めて他の騎手を利するだけでしょう、と。でも、結果的にはバルクの後ろや外で不利を受けた騎手たちとの鮮やかな対比が浮き彫りになり、レースの見方に深みが増すと同時に、「さすがユタカ」の感も強まることとなったわけで。それって要するに、ユタカの自己顕示欲あるいはマスコミへのサービス精神、つまりはショーマンシップから生まれたエピソードだったと思うんですよね。とりあえず僕はそう解釈しています。
 結局のところ、僕は基本的に騎手に対して「大人である」ことを求めてないんだと思います。ぶっちゃけてしまえば、岡部だって杉浦をムチで殴ったり増沢相手に福島蔑視な発言をしたりしてたらしいじゃねーか、と。そういうのが良いとは思いませんが、「勝負の世界」というストーリーにおいて、「レースは、検量室は、それぐらい殺伐としてるべきなんだよ!」という世界観はある程度生きててほしい・・・・・・という願望が、少なくとも僕にはある。「地の果てまで駆ける」と言われたら「こっちは天まで駆けるっつーの」と返すぐらいの大人げなさでいつまでもいてくれよ、と思うわけです。それが演技であろうが本音であろうが。まぁ、そうした価値観を他のファンにも共有してくれと要求するつもりはありませんけど。以前、藤田のピカロぶりを一種評価するエントリを挙げたことがありますが、それと同じ文脈です。
 あ、もちろんカタギに手を出したり、木刀事件みたいに密室での行為を肯定する気は毛頭ありません。ただ、仮に検量室でつかみ合いになったとして、それってプロ野球の乱闘とどう違うの? と思ったりもします。


▼その辺の意識を一言で表現すると、標題の「茶番も出花」(当然ながら造語です)というところに落ち着くのかな、と。野次馬根性と言ってしまえばそれまでですが。
 あと蛇足かもしれませんが、出来事のどうでもよさと、盛り上がる上でのニュースソースとしてのどうでもよさっていうのはあまり関係がなくて、例えば武豊前人未到の中央3000勝到達・・・・・・なんて大ニュースは、しかしそんじょそこらのブログで取り上げても多分どうでもいい記事しか書けない。少なくとも僕はこのネタで何か気の利いたことを書けと言われても無理です。一方福島ネタは、どうでもええやんと思いつつも周囲を見ると結構盛り上がってる。その意味でも、福永の発言(というか時事の記事)には十分なニュースバリューがあったよなぁ、と単純に捉えてるんですが、それって変でしょうか? 仮にそれで福永が立場を悪くしたとしても、それをいちいち忖度しなきゃならん義理もないですし。それ以上の評価は、福永なり五十嵐冬なりユタカなりビッグレッドなり、どこかに対して深くコミットしてるような立場の人がそれぞれ下すべきことなんじゃないかと。
 とりあえず、どうでもいいようなことで盛り上がってる界隈に対して「そんなことどうでもええやん」とわざわざ冷や水を掛けることは、元ネタに輪を掛けてどうでもいいことだよなぁ、と思ったり。


▼以上、傍観者的かつ品性下劣な一競馬ファンの見解でした。