競馬をめぐる冒険
完璧な競馬などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
「それはそれ、これはこれ」である。
冷たいようだけど、地震は地震、野球は野球である。
ボートはボート、ファックはファック、競馬は競馬である。
そして今日でもなお、日本人の競馬に対する意識はおそろしく低い。
要するに、歴史的に見て競馬が生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかったんだ。
競馬は国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。それが競馬だ。
競馬には優れた点が二つある。
まずセックス・シーンの無いこと、それから一人も人が死なないことだ。
放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。
「ずっと昔から競馬はあったの?」
僕は肯いた。
「うん、昔からあった。子供の頃から。
僕はそのことをずっと感じつづけていたよ。そこには何かがあるんだって。
でもそれが競馬というきちんとした形になったのは、それほど前のことじゃない。
競馬は少しずつ形を定めて、その住んでいる世界の形を定めてきたんだ。
僕が年をとるにつれてね。何故だろう? 僕にもわからない。
たぶんそうする必要があったからだろうね」
泣いたのは本当に久し振りだった。
でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。
僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。僕は・競馬が・好きだ。
あと10年も経って、この番組や僕のかけたレコードや、
そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。
▼たまにクリティカルなテクストがあるように思えるのは、僕の感じすぎなんだろう、多分。