馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

語り語られ釣り釣られ(或いはなぜ自分は競馬語りをやめないか)

雑記 - りあるの競馬日記

馬主は、ファン(色んな層を含む)を大切に、馬券が売れるように貢献するべきなのだろうか。

▼この間「客観性を保とうとすれば、どうしても各論にならざるをえない」という意味のことを書きましたが、だからといって各論であれば客観性を保てるかといえばまた別の話。「ファンを大切に」と言うのは簡単ですが、“ファン”という総体が一枚岩ではないのは言わずもがな。例えば、先日のアドマイヤ近藤氏の会見で、氏は

細かい契約条件はまだ協議するところがあります。秋の天皇賞を走ることも当然その条件です。ファンも調教師も望んでいますし、天皇賞に出走させたいと思っています。

http://keiba.radionikkei.jp/news/20070724K02.html

と述べられましたが、一応競馬ファンと言って差し支えないであろう自分の見解としては、どっちかというとムーンは天皇賞には出走してほしくありません(理由は本筋から外れるので割愛しますが、しょうもない理由です)。また、スターホースが出れば馬券が売れる、という因果律がすっかりその根拠を失った「ディープ以後」の現在、馬券の売り上げ云々を馬主が語るのはポーズでしかなくなっているかと思われます。谷水オーナーの

「春のグランプリといわれている宝塚だが、有馬記念に比べるといまひとつ。関西の人間として、盛り上げたい気持ちがあった」。史上最高メンバーで例年にない活況を示しているが、その最大の要因となったのはダービー馬の参戦であることに間違いはない。「ウオッカが出れば、売り上げが30億は違う」と笑い飛ばした。

http://www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20070621-215927.html

なんかはその典型例かと。ファンの方を意識してるのは間違いないと思いますが、それがどこまでマスとしてのファンを動かすかというのは、非常に疑問を抱かざるを得ないところです。


<参考:宝塚記念馬券売上額(TARGET調べ)>

 火付けの所にあった「大衆の競馬」から「お金持ちの競馬」の前者は、ハイセイコーオグリキャップのような競馬を指して、後者は、オイルマネーやら今回のケースを指していると思われるが、競馬が「お金持ち」のものでなかった時代ってのはいつか。

ハイセイコーは自分にとっては既に歴史上の存在なので置くとして。例えば大衆競馬の星だった(とされているらしい)オグリキャップは、まさに空に輝く星がその周囲に黒々とした夜空を纏っているがごとく、深い闇を背負って走っていました(参考:http://zriron.seesaa.net/article/22952564.html)。たとえ血統的出自は貧しくとも、年間3億という値段の付いたオグリは、そして馬主自身によるぬいぐるみビジネスの商材となったオグリは、(競馬ファンとして)同時代人ではなかった僕などから見れば、「お金持ちの競馬」(もう少し具体的に言うなら「バブル競馬」か)の体現者そのものという把握もできる存在です。それでも多くの「大衆」(俄かファン含め)は熱狂した。今となっては(いや、当時であっても)その正確な理由を求めることは至難でしょうけど、想像するなら、そうした大衆ファンはおそらく馬と馬主を一体のものと看做さず、馬主サイドからの酷使でさえも美談として、一種のシンパシーを「馬そのものに直接」預託したのではないでしょうか。で、そのあたりの背景を当時のマスコミがどこまで掘り下げたのかはそれこそ知る由もありませんが、少なくとも大マスコミが大っぴらにブームに水を差すような論調を展開したとは想像しにくいところです。
 というわけで、その当時の空気感を知らない世代である自分が、なにかを語るにあたって引いていい例かどうか微妙ですが、ことほどかようにマスコミやファンは「見たいものを見る」ものだと個人的には受け止めています(ですから、オグリに対して冷ややかだったファンというのももちろん一定数存在したことでしょう)。で、それは逆に「見たいものしか見ない」という表現もできるところで、例えばムーンに付いた40億円という値段に目を眩まされて右も左も分からなくなっている競馬ライターさんの目には、メイショウサムソンあたりがどう映っているのか、ヒシミラクルのような馬がつい最近にもいたことはもうすっかり見えなくなってしまったのか、一度懇々と訊ねてみたいところではあり。
 しかし、りあるさんが引用しておられる「メイショウサムソンはもはやファンの馬になった」というような手前勝手な決めつけも含め、馬主としてはそういったマスコミやファンの予断と偏見に満ちた視線でさえも、甘んじて受けるより選択肢はないのです。もちろんそれは、時にマスコミがでっち上げる「ファンの総意」なる実体のないものに従えという話ではなく、例えば「乗り替わりは許さん」というような投書を目にした時に「てめーらファンごときに指図される筋合いはねぇ!」などと釣られず、紳士的にスルーしておけばそれで済む話なわけですね。中にはオダギラーのように馬主とファンが幸せな共同幻想を築く例もありますが、馬主なり調教師なり騎手なりが明確な意図を持ってファンの動きを誘導するが如きは、非常に困難な操作と言えるでしょう(余談になりますが、ある程度それを実現する力があった田原成貴という騎手は、確かに一種の傑物ではあったのかなぁ、とも)。
 そういう意味で、今回の近藤オーナーの判断と表明は、ファン側を向いているという姿勢を示しつつ、トレード上のオペレーションとしては自らのエゴも(おそらく)十分押し通しているという点で、非常に空気を読んだ、抜け目のないものであると評価しています。

日本競馬の目指すべき姿ってのはどんなのだろう。

▼繰り返しになりますが、総体としての“日本競馬”なんてものは、少なくともそのアイデンティティは実在しないのです(と僕は思ってます)。あなたの望む競馬というものがもしあるとすれば、それがそのまま目指すべき姿と言えるでしょう。それがファンという立場にいる者の特権だと思います。ただ、ことブログ界隈においてそれを表明するなら、その思いを他の界隈の人々が共有してくれるかどうかというのは全く別次元の話だよね、というのが身も蓋もない現実でしょう。と、ここで、

「心情」にすぎないものに「理」を持って立ち向かっても議論は噛み合わないよなあという思いを持たざるを得ないし、更にいえば心情である以上、いくら否定したところでその心情が「ある」と言われれば「ある」のであって、これはライターであるとないとに関わらずではなかろうか。

Racing Blog:雑記(5) 釣られっぱなし - livedoor Blog(ブログ)

▼というBIRDさんの記事の一部に無理やりつなげるわけですが(えー)。
 とりあえず、河村氏にしろ水上氏にしろ、コメントもトラバも受け付けていないブログでの発言である以上、元々議論になるはずもなく、僕としても島国根性の陰謀論者 - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)については河村氏との議論を企図して起こしたようなエントリではありませんでした。
 ただ、たとえ原稿料の発生しないプライベートなブログでの単なる心情の表明であるにしても、その心象風景を作り出す上で、彼(ら)の目に映った「事実」がフィルタリングなりトランスフォーミングなりされたのは確かなわけです。よって、その過程を通じて発生した心情がどうやら的外れである、という認識をもとに書かれた件のエントリは、つまるところ「競馬ライターなんてやってるわりに、競馬を見る目は曇ってる(あるいは歪んでる)よね」というそれこそ身も蓋もない指摘に他なりません。もちろん単なる叩きや罵詈雑言にならないように言葉は選んだつもりですし、「どう曇っているか」という指摘を通じて建設的な方向につながる論旨展開を試みたのも確かです(成功したかどうかは別にして)。しかし、口さがないことは否定しようがありませんし、それをたとえばネットイナゴ呼ばわりされたところで、苦笑して済ませるしかないところです。


▼じゃあ、単に叩きたいがために書いてるのかというとそんなことはなくて、自分なりにもやっぱり「あるべき競馬像」っていうものを希求する衝動があって、それに沿った流れの中で起こしたエントリである・・・・・・つもりではあります。というのも、

競馬Blogは1ファンの意見として読むにしても、ネット上の競馬ファンの空気を読む上でも、JRAという組織やそこに属する個人が意識するとしないとに関わらず貴重な情報源になっているだろうと、その可能性はあるなあと個人的には思っている次第。

Racing Blog:雑記(5) 釣られっぱなし - livedoor Blog(ブログ)

の部分が、(ウチが良質な競馬ブログのひとつとして挙げられてることは抜きにしても)非常に心当たりのあるところですので、なるべく変なことは書かないようにしようと思っているのです、これでも。自分は自分なりに競馬というものに愛着があって、だからこそ、その周囲にあるものも含め、それらがなるべくマトモなものであってほしい。だからこそこういうエントリを書いちゃうんだろうな、と。いや、マトモかどうかなんてのも主観に左右されるものでしょうし、仮にその主張が妥当だったとしても、それで何かを変えようなんてピラミッドで達磨落しを試みるようなものかもしれませんけど。


▼まぁ、そこまで考えてると何も書けなくなっちゃうよな、とは思いますし、これからもこんな感じで真剣に不真面目なブログを書いていくんじゃないかなぁ、と。なので、

空気を醸成するなんて1個人の力で出来ることとは彼も思っていないという前提で、なお少しでも醸成したい、その一翼を担いたいという気概こそ、私が「もっと開き直っていいんじゃないか、ストレートに書いていいんじゃないか」

Racing Blog:雑記(5) 釣られっぱなし - livedoor Blog(ブログ)

というご指摘については、「根がひねくれているので物言いは変化球ですが、根底にある思い自体は割と素直なものなんですよ」というところでひとつ。


▼なにが言いたいのかよくわからなくなってきましたが、とりあえず今回は以上。