馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

近藤淳也の憂鬱

うさんくさい - jkondoのはてなブログ

大学時代の友人が会社に遊びに来てくれたので昼ごはんを食べて、一緒に食べたはてな社員の印象を聞いたら、うさんくさい、と感想を言ってくれた。インターネットばかりやっているうさんくさい人たち、という感じだろうか。

はてなコミュニティがいかに狭いか

一日中ネットに張り付いているような人たちが、新しいネタやサービスを追いかけ続けているその後ろに、置いてきぼりにされた大集団、みたいなものがあって、実はそちらがマジョリティなのだ、という現在の構図がようやく最近実感としてつかめてきた気がする。


たこつぼ - jkondoのはてなブログ

最近話題のサービスには、一日中インターネットを見ているようなユーザーしか想定していないようなサービスも多い。これははてな内でもはてな外でもそうだと思う。これでは、数十万人規模のネット好きが集まるたこつぼは作れるかもしれないが、世の中を変えていく事業にはならないのではないか。

▼わざわざ“うさんくさい”“狭い”“一日中ネットに張り付いて”“たこつぼ”といったあまりポジティブなイメージの感じられない言葉を選んでいるあたりに、社長の心の動きが出ている気がします。
 この辺はなんというか、

「<株式会社はてな>という家の間口を(ユーザーの意見を取り入れるために)いくら広く取っても、入ってくるのはノイジーマイノリティだけで、サイレントマジョリティはそもそも建物自体に近づかないということに気付いた」

・・・・・・といったところなのかなぁと感じたんですが、どうなんでしょうか。
 まぁそう思ってしまうのは自分が、ブクマ(主にホッテントリ)経由で情報が入ってこない限り、はてなダイアリー日記jkondoの日記(に限らずはてな社員のダイアリー全般)もアイデアはてラボも機能変更・お知らせも見に行くことはない、というタイプのはてなユーザーだからかもしれません。重かったりメンテに当たったりしても、ただ解消されるまで待つだけですし。
 これが多数派なのか少数派なのかはよく分かりませんが、多分はてなに何か動きがあるたびにビビッドに反応する層に比べれは多数派なんじゃないかな、と印象としては思います。そもそもはてブを(あまり)利用してない層に比べれば少数派もいいとこだろうとも思いますけど。


▼一方で、その間口からどやどやと入っていった一部のはてなユーザーたちは、上奏や陳情を繰り返す一方、問題が起きればユーザー同士で議会よろしく喧々諤々。まぁそれ自体は有意義な面も大きいんでしょうけど、といって別にはてなは議院内閣制を採っているわけではない(そして議員は別に選挙で選ばれたわけではない)ので、なかなかすんなり希望やアイデアが実装されるわけではありません(もっと別の事情があるのかもしれませんけど)。
 それで、さらに一部の人たちの間には「家に入れておいて茶の一杯も出さないとはなんだ!」(←喩えとしての妥当さを犠牲にしてネガティブ感を演出)みたいな不満がくすぶってて、それを感じると共に全体のユーザー数がなかなか増えない/新しい画期的なサービスが生み出せていないという停滞感もあり、その辺が渾然一体となってああいうエントリにつながってるのかな、と。
 もっともそういう構図というかシステムを作ったのは社長なんだろうと思いますのでアレですが、そのへんのしがらみみたいなものを捨てる・・・・・・ところまではいかなくても、(これまで以上に)華麗にスルーしてもっと外に目を向けていこう、みたいな決意表明には読めました。


▼そういう意味では、例えばid:toroneiさんの

本当にはてなが一般化したいのなら、まともなユーザーサポートの体制と、揉め事やトラブルに対するアンテナと理解を広げることでしょう。

近藤社長が今更な指摘に慌てている件・続き - 昨日の風はどんなのだっけ?

という指摘は確かに一面の事実を突いているとは思う一方、

既存システムのトラブルや問題で、はてなユーザーが大騒ぎして、「はてなダイアリー日記」のコメント欄が大炎上しているときに、しれっと、新しいシステムのリリースをする神経というのは、やっぱり普通の神経では理解できない

近藤社長が今更な指摘に慌てている件・続き - 昨日の風はどんなのだっけ?

こういう「ヘビーユーザー特有の感覚」と、そこから派生する諸々に対するスルー力というのは、一般化を指向するならむしろこれまで以上に必要とされてくるんだろうなぁ、と思ったりも。まぁ完全に無視するというわけじゃなくて、「それはそれ、これはこれ」という割り切り、という意味でですけど。
 そもそも大多数のユーザーは、それこそエントリが読めない/投稿できないとか写真がアップできないとかいう単純かつ重大なレベルの事態がある程度続いて初めて“大騒ぎ”するものでしょうし、『はてなダイアリー日記』なんてろくに読んでないでしょう。“大炎上”なんてのも、それこそマスコミに取り上げられるぐらいのレベルのことを世間的には言うと思いますし。深刻でも小規模なクレームやトラブルなんて、webサービスに限らず社会や会社にはいくらでもあるわけで、それでシステム全体を滞らせてたらキリがありません(繰り返しますが、トラブルを完全に無視しろと言ってるわけではない)。
 よって、

はてな」っていつの日からか、「はてな」というヘンな会社の思想とかを支持するユーザーの集まりという見方を、中にいる人たち外にいる人たちもしていたし、それがいわゆる村だのなんだのという集団が出来たり、中の人たちがヘビーユーザーの中でも、更に濃い人たちの声しか聞かなくなった所はあるでしょう。

というあたりから脱却したければ、今更でもなんでも、社長がああいう意識を持ち始めたことは歓迎すべきなんじゃないかなぁ、と思うんですがどんなものでしょうか。toroneiさんにしてみれば、ようやくお互いの向く方向が近づきつつあるっぽいのに、なんで糾弾するような格好になってるのかよく理解できません。理解できないだけで、別に間違ってるとは言わないですけど。


▼そういえば、その『はてなダイアリー日記』を(触れた手前)見に行ったら「公開デザイン祭り」の結果発表があって、試しに受賞した人のダイアリーを見に行ったら、サイドバーの「最新のタイトル」とか「最近のコメント」とか「最近のトラックバック」とかはおろか、B!ボタンとかコメント欄まで無かったりする人がいて(もちろん全部ではない)、なんというか、「村」特に「村議会」との物凄い温度差を感じました。
 まぁその辺のダイアリーはデザイン重視だからそうなってるのかもしれませんが、これまた試しに「注目のキーワード」上位を「含む日記」から適当に飛んでみたら、まぁ所謂「普通の日記」(何を食べたとかどんなテレビを見たとかあの試合を観戦したとか)が多いこと多いこと。そしてやっぱりそういうダイアリーは、デフォルトのままの設定だったり、そのユーザにとっては重要度の低いものが削られてたりで、いたってシンプルな(例えば被トラバや被ブクマを意識しない、もしくは敢えて避けるような)デザインが多かったです。そういえばトラバとか存在意義から分からない時期がありましたし、なんとなく仕組みが分かった今でも、別に日常雑記ブログならビタイチどうでもいい機能だと思ってます。むしろスパムが鬱陶しいので自動的に邪魔物。
 ちなみにさっき見に行ったら、注目のキーワード上位は「イ/ロ/モ/ネ/ア」とか「金/本/知/憲」とか「仮/面/ラ/イ/ダ/ー/電/王」とか「チューリップ賞」(なんで「桜花賞」じゃないのか)とかでした。ただしその下になると、「吉/澤/ひ/と/み」とか「ア/ル/ケ/祭」とか「か/の/こ/ん」とか、あるいは「R S A」とかとか「A p a c h e」とか、一気に雰囲気が変わってましたが・・・・・・。


▼まぁそういうふうにつらつらと考えていくと、元々サイレントマジョリティと、ノイジーマイノリティ(つまりはてな村・特にモヒカン傾向の強い集落)との間には価値観的に深くて広い溝があり、勝手にゾーニングされてるんじゃなかろうかという思いが強くなります。

とか

とか、村民率が低く、いてもコメントは短い、みたいなブクマページ見ると、なおさらそう思います。たまに迂闊なマジョリティの一人が運悪くモヒカン族に見つかってチョメチョメ、みたいなことがないとは言いませんが、そういう晒されリスクって、現状どんなwebサービスも2ちゃんを超えることはないような気がしますし(だからって無策でいいのかと言われると難しいですが)。


▼とまれ個人的には、社長においては変に動揺や逡巡に陥らず、ましてや暴走・分裂・消失といった結果にならないよう頑張っていただきたい所存。はてブをはじめそのサービスの発展に期待していることもありますし、なにより使い慣れたはてなから離れるのは色々と面倒なので。
 ただ、サイレントマジョリティと意識的にコミットしようとすると、ますますノイジーマイノリティとは溝ができてしまいそうな気がしますが、後者だって無視できるほど少なくはない(というかやっぱりはてなはそういう人の割合が他より飛び抜けて多いとは思う)ので、その辺は上手にバランスを取って欲しいな、とも思います。・・・・・・って何様だ。


▼そもそもこういう標題付けてこういうエントリ書いてる時点でアレか。ブーメランか。ウロボロスか。まぁいいか。