馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

誰のためのはてな?

▼先日書いた近藤淳也の憂鬱 - 馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)エントリでの、

toroneiさんにしてみれば、ようやくお互いの向く方向が近づきつつあるっぽいのに、なんで糾弾するような格好になってるのかよく理解できません。理解できないだけで、別に間違ってるとは言わないですけど。

という部分に、ブクマコメントでレスいただいたので、それへのご返事。

いやそういう考え方で一般化に走っても、そういうことは実現できないと思っているからです。

http://b.hatena.ne.jp/toronei/20080417#bookmark-8235504

▼それは分かります。ちゃんと元エントリでそう書かれてますし、それは繰り返しますが「別に間違ってるとは言わない」ところです。僕が疑問だったのは、大元のid:toroneiさんのエントリの以下に指摘するような構造です。

はてなアイデアなんてサービスが提供された当初にアイディアとして要求が出たもので、そのアイディアに対して賛同ユーザーが多くて、現実的に実装可能と思われるもので、スパムトラバやら荒らし対策といったものに具体的に効果がありそうなものが、どれだけ「要望中」扱いのまま放置されていますか?

そういう自体が続いているのは、ヘビーユーザーの方ばかりを見ているからではなく、信者とかイエスマンとまでは言わないけど、はてなに対して褒め言葉だけくれる人の声ばかり聞きすぎていないか? 自分たちの見えているところのユーザーの声ばかり聞きすぎていないか? という思いはどうしても強くあって、それが今回の近藤社長が、これまで沢山のユーザーに指摘されていたにもかかわらず無視していた事を、地元の友人に言われたぐらいで衝撃を受けている、もしくはそういう指摘を初めて受けたような反応をしているのは、やっぱり僕はおかしいと思います。
(強調・色付けは引用者による)

近藤社長が今更な指摘に慌てている件・続き - 昨日の風はどんなのだっけ?

この、はてな寄りのユーザー」と「それ以外のユーザーという二重構造は、以前からid:toroneiさんが指摘されていたことで、それも(実存するかどうかは別にして)ひとつの見方としてアリだとは思います。まぁ「信者」というレッテル貼りはどうか、という指摘は以前もさせていただきましたけど。
 しかし、この部分の記述を読むと、これまで社長が無視してきた沢山のユーザーの声」と、「地元の友人の声というのは、非常に近しいものがある、というふうに読めます。つまり、近藤社長が地元の友人から得た感覚は元々内部にもあり表明もされていたのに、はてなに対して褒め言葉だけくれる人の声ばかりを聞いて、そちらは無視していた、と。これはつまり、

  • はてなのヘビーユーザー/ライトユーザー/非ユーザー

という分け方ではなく、

  • (ユーザーかどうか問わず)はてなに親和的はてなに中立的(・批判的)

という分け方だということでしょうし、これまたそういう考え方もあるとは思います。


 僕が疑問に思ったのは、そういうところから出発しているエントリなのに、

手頃で手軽で楽で無料だからやっているという人が、一番多いユーザー層である事を忘れてはいけない。最近実装されたサービスは使いにくいし、トラバスパムなどの新しい問題に関しての対応では、使いやすいインターフェースがいつまで経っても実装されないのは、コアユーザーの方も一般ユーザーの方も向いていない。
(中略)
僕はユーザーの声よりも、地元の友人の声の方を聞いている、心に響いている内は、はてなが一般受けする事なんて無いと断言してやります。
(強調は引用者による)

こういう着地点になっている点です。つまり、最初にはてなそうでないか」という並立構造を指摘していながら、同じ問題(ユーザーにとって有用な機能が多くの要望にもかかわらずなかなか実装されない問題)をいつの間にかヘビー(コア)ライト(一般)か」「ユーザー非ユーザー」という分け方で判断している、ということ。
 もちろん、これだって「間違ってる」という気はありません。「要するにユーザー無視だ」と言いたいのかもしれませんし(厳密には前後矛盾する話ではありますが)、実際問題「どこを向こうが出口のない迷路」というものだってあるかもしれませんし。よって、“はてなが一般受けすることなんてない”という指摘は、繰り返しますが間違いとは言いません(合ってるとも言いませんけど。実際どうなのかは僕にはよく分かりませんし)。
 ただ、id:toroneiさんが最初に提示した構造から考えれば、“たこつぼ”の外に目を向け始めた、つまり外部であっても中立的な感覚にコミットしようとしているというのは、これまでに比べ方向性としてはまだしも妥当なんじゃないか・・・・・・と思ったんですが、それでなんで途中から構造把握が変わってしまった上に、そんな否定的なニュアンスの「断言」でエントリが終わっているのかよく理解できません、というお話でした。

明らかにはてなの思想とか、近藤社長のホントか経営の支持者であって、それを応援したいという人にどんどん特化していくんだと、僕ははてなはそれをある時期から志したんだと思っていましたし、それは今回の京都移転でますます強くなっていたと思っていたから、やっぱり今回の真意はよく分からないです。

近藤社長が今更な指摘に慌てている件・続き - 昨日の風はどんなのだっけ?

▼この“よく分からないです。”で終わっていれば、(構造把握に多少の混乱は覚えつつも)まだ理解できたんですが・・・・・・(“よく分からない”という結論は、立派な結論だと思います)。
 それが、最後がああいう終わり方になっているがために、「言ってやった感」だけが強く残りました。「結局id:toroneiさんは社長にどこを見て欲しいんだろう?」と。例えるなら、あのエントリは分析でも提言でもなく、一種の呪詛みたいなものなんじゃないかな、と。「はてな近藤社長)」というわら人形しか見てないからこそ、ユーザー分類がゆらぎまくってるのかな、と。まぁこれは「そんなことはない!」と言われればそれまでなので、そう思った、というだけですけど。


▼ちなみに自分としては、昨日のエントリでもちょっと書きましたが、「リノベーションからイノベーションへ」という意識の表明として近藤社長の一連のエントリを理解しているので、はてながますます良く、大きくなるよう頑張ってください、と思うだけです。はてなに(利用者として)感謝こそすれ、否定的になる理由は特にないですし。
 個人的な要望としても、現状のシステムのままで、運用が安定さえしていれば、特に不満はありません。改善や新たなアイデアは、そういうことが得意な人にお任せします。