馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

個人の思い入れの最大公約数として顕彰馬は選出されて欲しい

http://jra.jp/news/200805/050801.html
JRA顕彰馬 - Wikipedia
個人の思い入れとは無関係に顕彰馬は選出されるべき - 血統の森+はてな
▼体調は悪いわ出資馬は予後不良になるわ(セプタード・・・・・・)で全く気分じゃないんですが、あのブコメではそりゃ誤解を招くだろうなと思うので、フォローのために一応エントリ上げておきます。
 とりあえず最強馬論争なんてする気は全くなくて、「グラ>スペ>エル」というのは3頭の実績(G1を4勝/4勝/2+1勝)を自分基準で比較した上で、感覚としてはグラスワンダー(もしくはスペシャルウィーク)が顕彰馬に相変わらず選ばれなかった』なのに、「毎年エルの受賞が邪魔されてる」みたいなニュアンスでこの問題が捉えられがちなのは切ない・・・・・・というだけの話ですので悪しからず。ここを争うことの不毛さは、もう若い頃に散々経験したのでお腹一杯です。


▼えー、それはともかく説明しておくと、

  • 顕彰馬制度・・・今のあり方は、中途半端だと思う。
    • 具体的には、一定の実績基準を満たせばほぼ自動的に「殿堂入り」させる、一種のデジタルな「功労馬認定制度」と、今のようなシビアな選出方法による「時代を代表するような物凄い馬に対する表彰」を分けた方がいいと思う。


というのが、この問題に対する自分のスタンスです。これがすなわち、

名球会ではなく国民栄誉賞であってほしい」

というブコメの表現になっているわけです(あれじゃ伝わらないと思いますけど)。要するに、顕彰馬制度を「功労馬制度の立派なやつ」にしたいんだったら、敢えて投票したり選考したり結果を大袈裟に発表したりという必要はなく、それこそ

  • 投手として通算200勝以上、または通算250セーブ以上
  • 打者として通算2000安打以上
  • 通算成績にはアメリカ・メジャーリーグでの成績も合算される(2003年12月に改定)
  • プロ野球マスターズリーグにおいて、現役時代の成績と合算して資格を満たした選手を会員に準ずる「名誉会員」として顕彰を行う
日本プロ野球名球会 - Wikipedia

てな感じか、もしくはウイポみたいに、引退後「あなたはG1を○個勝ってるので、殿堂入りとします!」でいいじゃねーかと思うんですよ。トータルの頭数や細かい条件(2歳やスプリントや牝馬限定やダートのG1はひとつに数えるのか、的な)なんかも気にせず、ある程度機械的な選出で。で、JRA賞と一緒にでもいいから表彰式やってあげればいい。これを推し進めて「*カラジも3勝してるからあげるよ!」となったらそれはそれで面白そうですし(ねーよ)。とにかく「後世に伝える」ことが主目的であるのなら、それで何の問題もない気がするんですが、どんなものでしょうか。
 逆に言えば、もし「この馬が顕彰馬に選ばれました!!」と(びっくりマークふたつ分ぐらい)大々的に言いたいんだったら、それは政治的・宣伝的意図を多分に含んだものでないとあまり意味がないんじゃないの、という話でもありんす(←typoだけど敢えてそのまま)。今回もディープだからそうできたんで、じゃあこれが例えば「テイエムオーシャンはG1をみっつ勝ってるんで表彰します」だったら、無意味とは言いませんけど、敢えて声を上げるほどのこともないんじゃないか、という。


▼そういう政治的な意味での表彰・・・・・・喩えるなら「お前ら(非競馬ファン含む)、この馬の走りに感動しただろう?」と演説台から呼びかけて熱を持った歓呼で応えてもらえるだけの基準(この辺の感覚が、このエントリの標題の意味合いと思ってもらえれば)、と考えれば、「我々衆愚の代弁者たる報道関係諸氏の3/4以上の同意」という条件は、意外と妥当なところなんじゃないかという気も個人的にはするわけで。
 なにを隠そう僕はグラ基地で、その好敵手だったスペシャルウィークも高く評価している一方、勝ち逃げ気味に海外へ行かれた上に年度代表馬までさらわれた(ちなみにこの時の経緯から、「少数の有識者会議による選出」という方法には深い不信を抱いてます)エルコンドルパサーに対しては、かなりひねくれた目で見ている面があります。が、「じゃあどっちか<だけ>顕彰するから選べ」と言われたら、それはかなり困る。まぁ投票権があるなら最終的には多分グラスワンダーに入れますけど。
 でも、それは誤解を恐れず言えば、「どっちの馬もその程度の存在」ということなのかなぁと。どう言い繕おうと、いずれも絶対的な評価を与えるには至らない、ということの明快な証明になっているんじゃないか、と。「同時代に生まれた不幸」という話になるのであれば、「そんなこと言い出したら競馬なんてどの世代・レースにおいても相対的なものでしかない」と返すしかありませんし。


▼なので個人的なスタンスというか願望をまとめておくと、

  • 一定の基準(それこそ“G1競走に格付けされた重賞競走において3勝以上の成績を収めたもの”でもいいでしょう*1)を満たした馬は自動的に「殿堂入り」として、名誉を与え、記憶だけではなく記録にも残す(それが目的なんでしょ?)
    • なにか中央G1勝利に値するようなプラスアルファ(海外実績とか)がある馬については、別途JRAが考慮する。
  • そして、何年かに1頭(個人的には10年に1頭ぐらいでもいい)、競馬界の外にまで影響を与えるほど大きな存在感を示した馬に対して、その「競馬界への寄与」と「多大なる功績」を称え、「顕彰」する

となります。前者が「行政的」で後者が「政治的」と表現できるかもしれません。

隠れた功績・善行などをたたえて広く世間に知らせること。

の意味 - goo国語辞書

「隠れた」というニュアンスが微妙ですが、本来優れた馬のことなんて競馬ファンなら忘れろといっても忘れないし、止めろといっても勝手に調べるでしょう。ならば、放っておいたら競馬のこと自体忘れてしまいそうな人たち(世間)に対して大々的にアピールするような表彰があってもいいんじゃないでしょうか。たとえ蟷螂の斧であっても。どうせ一本化しようとすると、どうやっても混乱は避けられないわけですし。
 とまれ、

つまるところ、歴史を俯瞰するのか、解像度を上げて細かく見るのかということでしょう。

個人の思い入れとは無関係に顕彰馬は選出されるべき - 血統の森+はてな

この辺、どっちかの選択を迫られてるみたいな感じな持って行き方は若さを感じるなあと、僕のようなオッサンは思うわけです。分けたらええやん、と。まぁ過去の顕彰馬の扱いとかで整合性を取るのが大変なので、現実味があるかと問われるとアレですけど。


<関連>
2008-05-11 - みんなの予想を超えて@はてな

そのクラスの馬ともなるとわざわざ顕彰などしなくても記録がすべてを物語るというか。すでに記録のうえで素晴らしいことになっている。競馬って記録の物語だからね。

競馬において顕彰馬というのは適当な基準が決めにくく、どうやってもただのおまけみたいなものにしかならないのではと思います。

▼同意。まぁ僕のスタンスとしては、だからこそ殿堂入り認定は、ある種作業というかアーカイブ的なニュアンスに終始するか、そうでなければ政治的パフォーマンスにしちゃうか、どっちかに振り切る(もしくは別物として考える)ほうがいいんじゃないか、と思ったわけですが。

*1:ちなみに1986年以降の中央G1を3勝以上した馬はカラジを含めて35頭、現役ではメイショウサムソンダイワスカーレットのみ。アメリカの競馬の殿堂だと、基準は知りませんが現時点で176頭が殿堂入り。