馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

感じることと伝えること

※競馬界というのは近づきすぎると取り込まれる。関係者と知り合いになり、友達になればなるほど面白いことも書けなくなるし、頭が働くなる。これが競馬村の閉鎖性なのか、ギャンブル性による魔力なのかはわからないが、「俺は知っているんだぜ」という特権意識が生まれやすい土壌がある。そこから逃れるには常に傍観者のポジションをキープし続けるしかない。

http://b-squall.com/archives/2007/0225222744.php

▼確かにメディアにおいてはその傾向が顕著ですし、卑近でも心当たりのあるケースが2、3件。なんで情報通ぶってる素人ってのはあんなに鼻につくんですかね(謎)。それにひきかえ僕は競馬に対してあらゆる意味で傍観者たる自信がある! だからって、別に面白いことも書けてないし、頭だって働いてないのが悲しいところですが。器じゃねぇー。
 あ、でも一口関連については虚心ではいられない部分も多々あるか。じゃあ面白いことが書けないのはそのせいってことで(ぉ


あのロケットスタートは、バランスオブゲームがローエングリンのケツを叩いた - おはようからおやすみまで くらしに競馬を広げる

お前の分まで3連覇。たとえ大きな勲章は手にできなくても、十分に記憶に残る競走馬たちだった。

▼先日行われた中山記念のレース回顧という形を取りつつ、ローエングリンバランスオブゲームという2頭の競走馬の特異性を浮き彫りにするエントリ。これまでそれぞれの馬が辿ってきた5年分の軌跡が、あのレースの最後の5秒に収束していく様を、説明的でありながらも感傷を込めて描写しています。競馬というこの複雑なスモール・ワールドから、最もクリティカルにそのシニフィエを掬い上げうるのは、完全な傍観者でありながら、一方で誰よりも当事者たりうる“いちファン”という立場からではないか、と思わせる好例。
 ・・・・・・というこの紹介文はというと、言い回しだけがやけに小難しく、その割にだらだらと伸びて捉えどころのない悪文の典型例。自分の受けた印象を、自分が持てる語彙の範囲内で可能なかぎり誠実に、過不足なく、かつ細大漏らさず伝えようと悩んだ末こうなっちゃったんですけどね。あんま考えすぎても良くないのかもなぁ。