馬の気持ちはわからない(一口馬主遺産)

『馬の気持ちはわからない(『傍観罪で終身刑』改メ)』(http://d.hatena.ne.jp/Southend/)の移転先にして遺跡です

地方競馬の処方箋(診断編)

市民オンブズ尼崎の梅沢康弘代表世話人(63)は「景気低迷、レジャーの多様化で地方競馬の落ち込みは顕著。ナイターで収益が改善される可能性は低く、周辺住民から治安の悪化を懸念する声があがっている」と話す。

一方、同組合は毎日新聞の取材に「園田競馬場は大阪、神戸に近く、ナイターであれば平日昼に競馬場に来ることができない新たな客層の獲得も期待できる」とし、「事業廃止の訴えは時期尚早。治安悪化への懸念については、警備員を増員するなど対策を取る予定で、住民説明会を開き理解を求めている」としている。

荒尾競馬が廃止へというニュースの直後に、園田・姫路競馬についてこんな記事も出ていました。この両者の意見を聞いて、どちらに理が、あるいは説得力があるでしょうか。個人的には、自分が競馬ファンであることを棚上げにするまでもなく、圧倒的に前者だと思います。
 ナイター開催の効果については、競艇や競輪で一定の効果が見られるケースも出ており、そこを突破口にしたいという気持ちも理解できないではありません。しかし、2009年のホッカイドウ競馬のナイター導入後の売上推移を見れば(参考:ホッカイドウ競馬、2010年シリーズが終了 | 地方競馬の楽天競馬|日替わりライターブログ - 楽天ブログ)、一定の効果は見込めるにしても劇的な改善が期待できるようなものがどうかは不分明。もちろん周辺人口が門別に比べ圧倒的に多い園田ですから単純に比較できるものでもありませんが、駅からのアクセス・コンテンツ(所属馬や番組)・競馬場のキャパ等を考慮するに、分が悪いのではないかと感じざるをえません。


▼またそもそもの違和感として、「赤字の公営競技」が社会的にいかに無益(有害)な存在か、という認識が組合側あるいは行政側にどこまであるのかという疑問があります。ものすごく大雑把なイメージとして、例えば公営競技に対する意見を地域全体に求めたとして、何も予備知識がない状態であれば、

  • 賛成:反対:無関心=1:2:7

といった感じになると想定しましょう。そして、ここに「現状赤字であり、その損失は税金で補填される」という前提知識が与えられればどうでしょうか。おそらくですが、

  • 賛成:反対:無関心=1:6:3

あたりに落ち着くのではないでしょうか。
 ちなみにこれは全く根拠のない数字ではなく、岩手競馬の存廃が争われた2007年時、

地元紙「岩手日報」の昨年末の世論調査によると、広義の競馬廃止派が68.5%、融資案に対しても63.5%が反対の意思を示していた。

2年遅れの“再建モード”入り 廃止逃れた岩手競馬 - サラブネット

という調査結果が出ている点を踏まえての話です。
 雇用喪失や周辺消費を含めた経済的デメリットを含めて考えても、本来何年間も赤字垂れ流しの競馬を存続していい筋合いは、どこを探してもないのです。そもそも競馬法にこれ以上ないほど明確に記されているわけですから。

財政上の特別の必要を考慮して総務大臣農林水産大臣と協議して指定するもの(以下「指定市町村」という。)は、その指定のあつた日から、その特別の必要がやむ時期としてその指定に付した期限が到来する日までの間に限り、この法律により、競馬を行うことができる。
(強調は引用者による)

http://www.jra.go.jp/company/law/law01.html

……と。


▼それでは、赤字の地方競馬は座して死を待つべきなのでしょうか? 個人的にはそうも思いません。ただ、根本的に現在の自治体競馬、そしてNARのあり方を見直し、再構築しなければならない、という点は前提になるだろう、というのは以前からの主張であり、そこに変化がないのもまた確かです。
 ですので、「業界の人」の中では比較的アウトサイダー的な視点で物事を見ていると思われる須田鷹雄氏あたりが、

自治体は、賞典費削減しかこの世にカードは無いと思っている。あるいは、跡地利用やらなんやらの目論見がある場合、それしかカードが無いと思っているフリをする。そして競馬場はひとつずつ無くなる。この繰り返しはいつまでつづくんでしょうか。

内厩制放棄の話→ついでに福山の話 : 須田鷹雄の日常・非日常

などとこの期に及んでも述べているのが不思議です。すでに答えは出ているじゃないか、と。つまり「“地方競馬”が自治体の手を離れるまでこの繰り返しはつづく」ことが自明ではないか、と思うわけです。でなければ、ここまで一方向的に地方競馬の廃止や衰退が続くわけがありません。ご自身で

最終的には荒尾だけでなく、誰が競馬の将来像を描くのかという問題になってくると思います。それが無いようならいずれ競馬は全部潰れる。NARは主催者に対する指導力を持っていないし、JRAに至っては「地方の中身」に口を出せない。金はさんざん出しているのに。そして、経営能力の無い自治体が不毛に競馬を潰して、斜陽産業だという印象を世間にばらまく。

荒尾競馬存廃 : 須田鷹雄の日常・非日常

とまではっきりと、そして冷徹に現状分析できているにも関わらず、それでもああした物言いが出てくるのは、結局のところどこかに、この枠組みの中でなんとか事態を打開できるかもしれないという甘い見通しがあるのではないか、と疑わざるをえません。まぁ、結局のところ枠組み自体を大きく変えることは不可能だ、という諦念の裏返しなのかもしれませんが……。


▼その点はとりあえず措きましょう。では具体的にどうすればいいのか、という点について、須田氏は同エントリの中でこのように述べています。

 このままいくと、荒尾はJRAと他地区の受け場外専門になるわけです。そこでは利益が見込めるわけで、ならばそれを原資に全レース交流競走(佐賀との)という設定でライブレーシングを年に数日でもいいから実施する。その時点で荒尾所属の人馬はゼロになっていて、交流競走だけど全馬佐賀所属という形でレースを行います。
 佐賀側は荒尾側から賞典費が出るぶん、自場の開催日数を多少なりとも減らせれば、そのぶん収支はプラス側に働きます。それが見込める範囲内で、荒尾から人馬を受け入れればいい。

この部分だけ見れば、わりと説得力のある筋書きではないかと思います。しかしよくよく考えてみると、特に中央競馬にしか現状積極的な興味が持てない自分のような身からすれば、これは須田氏自身が

 私が苛立ちを禁じ得ないのは、地方競馬では毎度今回のように、縮小均衡→ある日廃止へという、およそ経営とは程遠い策しか講じられてこなかったからです。

と否定的に捉えている縮小均衡」の一つの形にしか思えません。合理化あるいは撤退戦としては筋が良い、というだけで、根本的な解決にはやはりなっていない。なぜなら、結局は現状ジリ貧である佐賀競馬の馬的・人的資源にぶら下がる形であることに変わりはないからです。


▼ではどうしろというのか。ジリ貧の地方競馬同士がユニオンしたところで限界があるとなれば、当たり前ですがあとは中央競馬との連携を図るしかありません。といったところで思考は最初の“根本的に現在の自治体競馬、そしてNARのあり方を見直し、再構築しなければならない”という地点に戻ってしまうわけで、現状手詰まりなのは間違いないところでしょう。
 とはいえ、もしそこ(今のところパラレルな中央と地方の関係性)さえなんとかクリアすれば、個人的には須田氏の言う連携・合理化案に中央競馬を噛ませるだけで、かなり劇的に状況は改善しうるのではないか、とも考えていたりします。
 具体的に言えば、それは「中央の<スーパー未勝利戦>の業務委託先としての地方競馬という可能性です。


▼……と、かなり長くなってしまったので後編に続きます。(引っ張るほど大した案かと言われると困りますが)